物言わぬ労働者

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労働者を雇用する事業主にとって労災保険というのは、空気のような存在として当たり前に加入が義務付けられている。

 

勘違いされがちなのは、労災保険は「労働者が加入するもの」ではない。労働者として雇用された時点で自動的に加入となるため、その都度手続きが必要な任意保険とは異なる。

その代わり事業主は、一人でも労働者を雇用したら、その時点で労働保険を成立させる手続きを行わなければならない。つまり、事業所自体が労災保険に加入することで、そこで働く労働者が必然的に被保険者となるのだ。

 

労災保険が適用されるのは、業務に起因する怪我や病気に限る。具体的な給付としては、病院での治療費が無料になったり、休業中の賃金の8割が支払われたりと、被災労働者が安心して治療・回復へと向かえるように国が補償するのである。

イメージしやすいのは、現場作業中に鉄骨が落ちてきて怪我をしたとか、介護事業所で利用者の介助中に腰を痛めたとか、明らかに業務中に起きた事故や怪我だ。

 

ところが、直接的(瞬間的)な原因ではなく、長期間にわたる業務起因性が認められるケースが、最近では増加している。それが「長時間労働が原因となる脳や心臓疾患の労災認定」だ。

 

厚生労働省は、脳・心臓疾患の労災認定基準を設けており、昨年9月に久々の改正を行った。改正ポイントは、

■長期間の過重業務の評価に当たり、労働時間と労働時間以外の負荷要因を総合評価して労災認定することを明確化

■長期間の過重業務、短期間の過重業務の労働時間以外の負荷要因を見直し

■短期間の過重業務、異常な出来事の業務と発症との関連性が強いと判断できる場合を明確化

■対象疾病に「重篤な心不全」を追加

といった部分で、働き方や時代の流れに沿った認定基準にすることで、より適正に評価できるように改正したわけだ。

 

労働時間については、既存の基準を維持(発症前一か月間に100時間、または、二~六か月平均で月80時間を超える時間外労働)したが、労働時間以外の負荷要因とを「総合的に考慮して判断する」と明確化した点は大きい。

これにより、負荷要因として挙げられていた「不規則な勤務・交代制勤務・深夜勤務」「拘束時間の長い勤務」「温度環境や騒音等の作業環境」などに加えて、「勤務間インターバルが短い勤務」が追加された。

さらに、既存の「心理的負荷を伴う業務」だけでなく、「身体的負荷を伴う業務」も評価対象として加えたことで、より現実的な業務の過重性を評価できるようになったのだ。

 

 

先日、友人から家族の労災申請についての相談を受けた。

守秘義務もあるため具体的な言及は避けるが、家族が対象疾病を発症したため労災申請を検討しているとのこと。事情を聞くも、労働時間はギリギリ該当しそうなラインだが、労働時間以外の負荷要因について、労働者本人ではないので確認できる事実が不足している。

そして当該労働者は、脳疾患を発症して意識不明のまま眠り続けているのだ。

 

勤務先へ相談するも、会社としては労災には当たらないとの判断のため、給付申請は行わないという結論に至った。しかし家族が個人的に申請をするならば、協力は惜しまないとの返事をもらったらしい。

その後、友人が労災の申請書類を作成したところ、勤務先は証明を渋りだしたのだ。

 

社労士のわたしからすると、こうなることは目に見えていた。

「個人的に申請をするならば協力は惜しまない」という発言自体が、もうすでに協力はしないということを暗に示しているからだ。

 

会社としては、当該事件が労災認定されれば業務上の疾病ということで、民事訴訟に発展しかねないリスクを抱えることとなる。よって、多少の長時間労働があったにせよ、他の労働者も同じように働いているわけで、脳疾患を発症したのは本人の健康状態によるものだと考えた。

その結果、会社としては労災には当たらないと判断し、申請を見送ったというわけだ。

 

この判断に至るまでには、社内調査や担当者による協議も行われたわけで、事業主としての責任を果たしていないわけではない。しかし、調査や協議をした人間というのは、人事担当者や役職者であり、現場の人間ではない。言い方は悪いが、部署が変われば赤の他人となる人々なのだ。

だが、意識不明となった労働者と生活を共にする家族からすると、帰宅後の様子に変化があったことや、表情や言動から感じる健康不安に以前から気付いていたわけで、業務との関連性を否定することはできない。

 

言うまでもなく、いかなる職業にも業務上の守秘義務というものはあるわけで、家族だからと職場での出来事をベラベラしゃべることなどできない。ましてや職種によっては何一つ口外することができない場合もあるため、家族としてはそれも承知でただ見守るしかないのだ。

 

友人が作成した申立書を読みながら、わたしは少し手直しをした。読み手が受け入れやすい形に、角を落としたのだ。なぜなら会社が、

「内容次第では、証明できない可能性もある」

と突き放したからだ。

 

実際にこうなってしまうと、家族と会社との間に溝が生まれる。その結果、労災申請の協力を仰ぐことが困難となってしまうわけで。

そんな「最悪の事態」を回避するべく、わたしは考えた。

会社側がこの申立書を読んだときに、少なくとも、感情を逆なでされない表現に落とすことが、社労士として、もしくは物書きとして協力できる、唯一で最善のサポートなのではないかと。

 

あわよくば、友人の申請が認められてほしい。もう二度と目を覚まさないかもしれない労働者本人にとっても、家族の努力が結実すれば嬉しいだろう。

たかが一人の労働者の話だが、そこにはいろいろな想いと現実があり、紙っペラ一枚で片付く話ではないのだということを、改めて思い知らされた。

 

人間を雇うということは、その人の一生を背負う覚悟を持たなければならない、といっても過言ではない。

 

サムネイル by 希鳳

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