私は、毎日コーヒーを飲むしコーヒーが大好きだが、豆について好みがあるわけではない。店員に勧められれば何の迷いもなくホイホイと試すし、見たことのない豆があれば知ったかぶってすぐさま注文する。
そんなことより、寒い冬の朝にどんな安物のコーヒーでも一口すすれば幸せを感じられる。むしろシチュエーションのほうが重要なわけで、ブラックアイボリー(希少価値のある高級豆)をチンバリ(老舗でありトップブランドの、エスプレッソマシンメーカー)で入れたからといって、最高の一杯が生まれるわけじゃない。
そんな味覚音痴の私だが、一般的には「違いが分からない」と言われそうなものの「違いが分かる」という事件が起きた。
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子どもの頃ピアノを習っていた私は、大人になる前にピアノを辞めた。そして大人のオトナに差しかかった頃に、再びピアノを習い始めた。
その結果、ピアノ教室の発表会に強制的に参加することとなった。
たかが発表会だし、ゴロゴロ転がるジャガイモの一つのようにササっと弾いてササっと撤退すればいい、と高を括っていた私。だが少し前に、先生から発表会の詳細について告げられた時、ジャガイモの一つとして転がるには、逆にかなりの勇気がいる状況となった。
「発表会ね、三部構成にしたの。一部は子どもたち、二部は高校生や大学生、三部が大人の部」
ほぅ。人数が多ければ、そうなるのも致し方あるまい。
「でね、あなたが三部の最後の大トリだから」
(・・・・・)
この日を境に、私はピアノの練習をするようになった。じゃあ今まで何をしていたのか?と問われると、答えに窮する。気が向いたら夜中にチャチャッと弾いて、毎週レッスンを受けて、その繰り返しをしてきただけ。
どういう演奏がしたいとか、こんな曲が弾いてみたいとか、そういう欲望は一切なかった。日々のルーティンワークとして、ピアノというものがあっただけで。
それからというもの、私はピアノを弾いた。弾いて弾いて弾きまくった結果、とあることに気がついたのだ。それは、
「アップライトピアノとグランドピアノは、ピアノという文字はつくものの、まったく異なる楽器である」
ということだった。そもそもアップライトは箱型の四角いピアノで、グランドは奥行きがあり上から見るとハープのような形をしている。これだけ大きさや形が異なるのに、同じ楽器のはずがない。
バイオリンとダブルベースが同じ楽器とはいえないように、卓球とテニスが違う競技であるように、もっと身近なところで例えるならば、ナイフと包丁がまったく別のアイテムであるように、アップライトとグランドはまるで違うのだ。
それに気づいた私は、さっそく23区内でグランドピアノが弾けるスタジオを探した。用事があって外出するときは、その場所の近くにあるスタジオを探して予約をした。
こうして毎日、私は色々なスタジオへ足を運び、ピアノの練習をしたのである。
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「あれ?前日と全然ちがうじゃないか!」
昨日の練習で、その前日に弾いたピアノとの差を感じる。一昨日弾いたピアノは、今弾いているピアノの隣りにあるピアノで、同じメーカーである「ヤマハ」のグランドピアノ。まったく同じピアノのはずなのに、なぜここまで違和感を覚えるのか――。
スタジオのホームページを見ると、なんと、隣りのピアノはコンサート向けのハンマーストロークで、このピアノはコンクール向けのハンマーストロークに調律されていたのだ。
打弦距離が短かければ、音量は下がりタッチも軽くなるため、弱い音や速いパッセージが弾きやすくなる。
(どおりで昨日はスイスイ弾けたのに、今日は指がもつれるような感覚があるわけだ)
私は打鍵の違和感と果敢に戦いながら、そして汗だくになりながら練習を終えた。そんな疲労困憊の帰り道、朦朧とする意識の中で感じるものは「恐怖」の二文字だった。
(同じメーカーの同じタイプのピアノにもかかわらず、これほどの違いがあるということは、本番で弾くピアノはさらに違うメーカーゆえ、とんでもないことになるのではないか・・・)
今まで練習をしてこなかったことを悔やむ。手を抜いて適当に鍵盤を叩いてきたことを、心の底から悔やむ。
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そして今日、私は本番と同じメーカーのピアノで練習することが叶った。そう、世界最高峰のピアノである「スタインウェイ」だ。
国際的なピアノコンクールでは、ほとんどのコンテスタントがスタインウェイを選ぶほど、他の追随を許さない圧倒的な技術を誇るグランドピアノ。あのセルゲイ・ラフマニノフをもって「すべてにおいて完璧」と言わしめた、最高の表現力と創造性を実現する楽器である。
そんな恐れ多きスタインウェイを、一時間ほど触ることが許されたのだ。当然、昨日の失敗が記憶に新しい私は、
「どうせ今日も、奈落の底に突き落とされるんだろう」
と、半ば自暴自棄になっていた。
とはいえ時間も限られているため、不貞腐れている暇はない。さらに本日は、友人を呼び出し本番に近い環境で練習に挑むとあり、さらなる緊張が走る。
(弾けなくていい。サボっていた私が悪いのだから、弾けなくて当然だ)
昨日の「嫌なイメージ」を抱えたまま、私はとうとう鍵盤に指を置いた。
(10分後)
かつて、間違いなく「値段が高いほうがいい」と思った商品の代表として、レインウェアが挙げられる。雨の日のゴルフで着用するアレだ。
悪いことは言わない、騙されたと思って高級なレインウェアを購入してもらいたい。中途半端な物を買うと、後々もう一つ買う羽目となるので、先に口酸っぱく忠告しておこう。
ほかには羽布団やマットレスなどがそうだろう。高級品というものは一時の出費は痛いが、末永く重宝することを考えれば、むしろお買い得といえる。
人間の脳を整理したり疲れを癒したり、元気に明日を迎えるためには、寝具をケチってはならない。これも口酸っぱく言い続けよう。
つまり、「高いものにはそれなりの価値や機能が備わっている」ということを、私はこの10分で悟ったわけだ。
ラフマニノフが言う通り、スタインウェイは最高であり完璧である。鍵盤の触れやすさ、打鍵の浅さ、高音の硬い響き、濁りのない音の粒、高音域の十分な音量、まったく邪魔にならない黒鍵の形――。
このピアノにケチをつける人間など、この世に存在しないだろう。そう思わざるを得ないほどの、圧倒的な弾きやすさと表現の引き出しの多さを、身をもって知らされたのである。
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ワインの王様「ロマネ・コンティ」がなんぼのものかは知らないが、ピアノの王様・スタインウェイは紛れもなく本物であり、誰もがその素晴らしさに舌を巻くことだろう。
アップライトピアノとグランドピアノとの違いに始まり、同じヤマハのグランドピアノでも調律によって違いが出ることを知り、本番と同じメーカーのスタインウェイを弾いたことで、私は本物の凄さを痛感させられた。
その結果、「もはや怖いものなどなにもない!」と、胸を張って言えるようになった。なぜなら今日、私はピアノという楽器について達観したからだ。そしてハッキリと刻み込まれた真理とは、こうだ。
「あまりに違いすぎて、練習をする意味がない」
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