能力の低い人?

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仕事での対応というのは、いわゆる「仕事ができる、できない」に比例しているように感じる。業種や分野によっても評価は異なるが、それでも仕事ができる人に限ってテキストでの対応が悪い、ということはない。

少なくとも私が関わってきたビジネスパーソンの中で、感じがわるくて仕事ができる奴は一人もいなかった。

 

 

とある事務職の女性とメールでやり取りをしていた時のこと。彼女は社労士である私と会社との間で、従業員に関する連絡や相談などを行う窓口的存在。直に会ったこともなければ電話で話したことも数えるほどしかない、ただひたすら文字でのやりとりで何年も過ごしてきた関係性だ。

想像するに、性格は真面目で業務を着実に遂行するタイプの女性だが、たまにメールの冒頭で季節に関するメッセージや、自身の近況報告を織り交ぜてくれるあたりから、プライベートでは笑顔の絶えない愉快な人物像が浮かび上がる。

 

個人的な考えだが、ビジネスメールは要件のみを簡潔に伝えてもらえれば十分。しかし、相手に不快な思いをさせない文面で要件を端的に伝えるには、思っている以上に高度なテクニックが必要。

読んでいて毎度感心してしまうのは、弁護士の友人が作るメールだ。弁護士という肩書が担保する部分もあるが、それにしても日本語に間違いがなく、かつ、偉そうな言い方にもならない文面は「お見事」の一言に尽きる。

端的に要件をまとめる場合、どうしても突き放すような冷たい印象を抱かせがち。だが友人はものの見事に角を切り落とし、柔らかな真綿に包んだ状態で言葉を届けることができる。決して冗長ではない、シンプルな文面にもかかわらず。

 

とはいえこれは特殊な例であり、弁護士といえどもヘタクソな文面やイラっとくる文面の先生もたくさんいるわけで、職業柄というよりはその人によるものだと思う。

これが一般的な企業の業務連絡となると、そのほとんどはカッコつけた書き方を用いるため、おかしなことになっている。

(無理に難しい言葉を使わなくてもいいのに・・・)

読んでいて、業務連絡よりも日本語の使い方に意識が奪われてしまうケースも多々ある。そもそも使い方が間違っているので、相手に対して失礼な言い方になっていることに気付いていないのだ。それでも一生懸命、無知なりに頑張って作ってくれたメールだと思うと、ありがたく受け取るしかないのだが。

 

しかし最も厄介なメールといえば、冗長かつ要件が不明なケース。某顧問先へやんわりと改善を要求してきたが、何年経っても変化が見られないため、最終的にはメール本文を箇条書きにするよう強制した。

「冒頭の挨拶も敬語もいらないから、ただひたすら要件だけを、箇条書きで送ってほしい」

それでも最初のうちは無駄な単語が並んでいたが、私からの返信も箇条書きで簡素化したところ、徐々に単語数が減り、今では見事な箇条書きメールが届くようになった。

ちなみにこの場合、裏でのフォローを怠ってはならない。

「稚拙で意味不明なオマエの文面になど付き合っていられない、メールは箇条書きにしろ!」

こんなことを言われたら、相手が気分を害すること必至。そこでLINEなどのSNSで個人的に事情を説明し、メールは必要な情報だけにするよう理解を求めた。その代わり補足や疑問はいつでもSNSで尋ねるように、コミュニケーションツールの使い分けを図ることにしたのだ。

 

冒頭の女性事務員の話に戻そう。本日のメールの最後には、

「春分の日も過ぎたというのに、まさかの雪とは。膨らみかけた桜のつぼみも、すっかり凍えててかわいそうでした。。」

と書かれていた。夕方まで外出していなかった私は、彼女からのメールで本日の都内の天気を知った。桜のつぼみが凍えるほど寒いということも。

他愛もない天気の話かもしれないが、こんなところに彼女の気遣いが見られる。仕事の要件だけで終わらせてもいいところを、あえてこのようなアイスブレイクを挟んでくるあたり、今日は彼女にゆとりがあることもうかがわせる。

 

添付書類の記入漏れについて質問をしたついでに、

「いつも季節に触れるメッセージをありがとう」

と伝えたところ、整った書類とともに送られてきた返信で、

「うわー、嬉しいです!」

という文に続けて、豚が桜の木によじ登っているスタンプが捺されていた。

「おだてブタです。能力の低い者でも、おだてられて気分をよくすれば能力以上の働きをすること。または、おだてられて調子に乗っている人。つまり、わたしですね。。ハハ。」

 

この言葉を真に受けてはならないのは当然だが、それでも私は彼女自身に「能力が低い」などと微塵も思ってほしくはなかった。

今回の女性ではないが、別の会社の事務職員も自らを卑下して、

「私のように能力の低い人間は、メール連絡をするくらいしか役に立ちませんから」

と口にしたことがある。私は怒り交じりで大いに否定した。

 

人の能力は、機械的に数値化できるものではない。どんなに「仕事ができる人」でも、私とのコミュニケーションを円滑に進められなければ、私はその人のことを決して「仕事ができる」とは評価しない。

人間対人間という限定的な場面では、いかに相手が気持ちよく受け取ってくれるのか、スムーズに動いてもらえるのかを考えた上で言葉を発するべき。人間はロボットではないわけで、出された指示に必ずしも従うとは限らない。そんな状況下で役に立つ能力こそが、相手の気持ちを穏やかにする他愛もない言葉やメッセージだろう。

 

収入の高い人が偉い、賢い、能力が高いなどと思っている奴は、申し訳ないが人間レベルがかなり低い。収入は社会生活を送る上で重要な要素であることは間違いないが、それだけが指標ではない。かつ、カネで判断できることほどビジネス臭が漂う基準もないわけで、そんなもので人間の能力を測られたらたまったもんじゃない。

見えないもの、触れられないものかもしれないが、相手が気持ちよく業務遂行できる対応力こそが、人として必要な能力でありビジネススキルだと思う。

 

だからどうか、己の仕事に誇りを持ってほしい。あなた以外にその仕事は務まらないのだから。

 

サムネイル by 希鳳

 

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2件のコメント

共感しかないです。
メールって本当に難しいですよね
私はシンプルになりすぎなので相手に冷たくとられないよういつも悩みます😅

おお!久しぶり。でもあすかは見た目がアレだから許されるだろう笑

ウラベリカ へ返信する コメントをキャンセル

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