食い意地を張ってるとか、そういう次元の話ではない。憧れのマドンナお手製のクッキーが、ラスト一枚残っているのだ。俺はたしかに一枚食った。だが他のやつらも全員、一枚ずつ取ったはず。ということは、この一枚は誰のものでもないわけで、公平な判断を仰ぐとすれば「捨てる」ということになる。
だがゼロ・ウェイストが叫ばれる世の中で、食い物を捨てるという行為が許されるはずもない。ましてやパティシエを目指すマドンナが、わざわざ俺たちのために作ってきてくれたクッキーを捨てるだなんて、俺ならカビが生えたって食べる、絶対に。
そんなこんなで俺は、部員全員が部室を出るのを確認したうえで、ラスト一枚の愛情クッキーをいただこう、という計画を企てた。なにも問題はないだろう、そのまま置いておいたらクッキーが傷んでしまう。だったら最後に退室する俺が、責任を持って処分してあげようというだけのこと。
しかし練習はとっくに終わってるんだ、おまえらさっさと帰れよ。
ふと背後に人の気配を感じる。振り向くとそこには部長が立っていた。
「なにしてんの?」
この人は真面目で実直、そのくせかわいい彼女がいるのにモテるから隅に置けない。とはいえ俺と部長が競っても何一つ勝てる要素がないので、この人を盾にして密かに前進するくらいがちょうどいい。むしろ俺が部長を利用してやってるんだ。
「あ、いえ。みんなが帰るのを見送ってるだけです」
当たり障りのない返事をする。
「ふーん。で、なんでクッキーの前に立ってるわけ?」
純粋といえば純粋、だが瞳の奥でニヤニヤしているようにも見えるいたずらっぽい表情で部長が尋ねる。これは本気で聞いているのか?それともクッキー狙いとわかったうえでわざと聞いているのか?
もしかすると部長も最後のクッキーを狙っていて、その確認に来たのかもしれない。だが俺がクッキーを監視していたため、思わず声をかけたんじゃないのか?
いや待てよ、部長はさっきクッキーをすでに食べているはず。だとしたら次は二枚目ということになる。――ずるいじゃないか。それこそ職権乱用ってやつだろう。完璧でなければならない部長に、そんな不正を働かせてはならない。ここは俺が全力で阻止してやる。なにも食い意地を張ってるわけじゃない、部長の名誉を守るために、心を鬼にして俺が悪役を買って出てやるんだ。
「えっと、クッキーをもらってない部員がいないか確かめてます」
嘘ではないが、核心を突く発言は避けた。さすがにまだ部員が残っている段階で、いくらなんでもラスイチのクッキーを俺がもらうことはできまい。さらに部長がそれを許すこともできないのはわかっている。だからこそ、事実を踏まえながら聞こえのいい返事をした。
「おまえもしかして、もう一枚食べようとしてる?」
ちょっと驚いた表情で部長が問いかける。まずい!そんな単刀直入に聞かれたら、肯定も否定もしづらいじゃないか!でもここで黙ればなおさら怪しい。とりあえず何か答えておかなければ。
「えーっと、もし全員が食べていたらもらっちゃおうかな、なんて思ってますけど」
照れ隠しに舌なんか出したりして、可愛いフリをしながら答える。すると部長は「ふーん」と言った後にこう付け加えた。
「クッキー、一人一枚だから」
しまった!これじゃ俺がまるでハイエナのようにクッキーを狙っていると思われるじゃないか!ちがう、断じてそんなことはない!むしろ誰かがズルをして二枚持って行かないかを監視する立場であり、全員が退室する前に俺がこのクッキーに手を出すことなどあり得ない!
・・・ハッ!もしかすると、本気で部長もクッキー狙いなんじゃないか?俺をここから離すために、わざと正論をぶつけてきただけで。だとするとなおさら、部長を犯人になどできない。俺が罪をかぶらなければ。
*
――こいつ、マドンナからのクッキーを二枚食べようとしてるわ。さっきからクッキーの周りをウロウロしながら目を光らせてやがる。まるで盗っ人が盗品を守っているかのような、黒いオーラを感じるんだ。
しかしまずいな。もちろんオレは一枚食べた。だがじつは、もう一枚食べてしまっているんだ。言い訳になるが本当に知らなかったんだ、一人一枚だってことを。後からマドンナに言われて、こりゃ誰にも言えないなと焦っていたところだ。そんなことをこいつに知られたら、何を言われるか分かったもんじゃない。とにかく内密に、そして穏便にラスト一枚のクッキーを処分しなければ。
オレは部長だから、全員を帰らせた後にこのクッキーをどうにかすることもできる。だがそうなるとこいつが校門あたりで待ち伏せしていて、「あのクッキーどうしたんですか?」とかしつこく聞いてきそうだ。いや、間違いなく聞いてくる。もし「捨てた」なんて嘘をつけばゴミ箱まで漁る勢いだ。もしくはオレが食べたと言えば「職権乱用だ!」と騒ぎ立てるだろう。どちらにしても部長という立場を考えると得策とはいえない。あぁ、困ったな。どうしたらこいつの手に渡らずにクッキーを処分できるんだろう――。
「おつかれしたぁー」
そこへ部員の荒本が通りかかった。もはや荒本しかいない、頼む、まだクッキーを食べていないと言ってくれ!
「荒本さぁ、クッキーもらった?」
オレは努めて冷静に尋ねる。すると荒本は控え目な表情で手を横に振る。つまり荒本はクッキーを食べていないのだ。
「せっかくだからもらっとけよ!マドンナお手製だぞ」
オレはラスト一枚のクッキーを手に取ると、急いで荒本に近寄り上着のポケットにねじ込んだ。
「え、自分なんかがもらっちゃっていいんすか?」
「いいに決まってるだろ!一人一枚もらえるんだから」
オレは最高の笑みを浮かべながら荒本に感謝した。ありがとう、おかげであいつにクッキーが渡らずに済んだ。オレも職務を全うした気分だぜ。本当にありがとう――。
*
なんてこった。荒本の野郎がクッキーを食べてないとか言い出しやがった。本当に荒本は食べてないのか?ヤツの行動を逐一追っていたわけではないから、真偽のほどは不明だが。
だがすでにクッキーを食っていたとすると、あまりの美味さにもう一枚!となった可能性だってある。クソッ!荒本にやられた!
それにしても部長の手腕には脱帽だ。俺が不正に二枚食べようとしていたところを発見し、そんな俺の下心を傷つけない方法でクッキーを見事に片付けちまったんだからな。普通なら罵声を浴びせて蹴り出してもいい場面なのに、部長は俺を気遣ってそれとなく荒本にクッキーを渡したのだろう。
おかげで俺はなんの罪にも問われずにすんだわけだ。
あぁ、人の上に立つ者ってやつは、こうでなきゃダメなんだろうな。まったく、部長にはやられたぜ。
(了)
サムネイル by 希鳳
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