波長が合うヒトというのは、付き合いの長さや趣味の一致とは関係なく、世界中どこにでも存在する。そして、偶然にも同じ場所に居合わせるというのも、やはりどこか必然に近い偶然なのかもしれない。
それを裏付けるかのごとく、見ず知らずのたくさんの他人で構成された東京にて、名前も年齢も職業も分からないが「きっとこのヒトとは気が合うだろうな」と思う瞬間がある。たとえば混雑したエレベーターや電車内で——。
*
朝9時台の地下鉄・南北線は、都心を縦断するだけあって通勤利用客で溢れかえっている。そのため、始発以外は「すし詰め状態」の満員車両へタックルしてでも足を踏み入れなければ、南北線に乗り込むことはできない。なんせ、一本見送ったところで次の電車も同じような過密車両が到着するのだから、待つ意味がないのだ。
そして、遅刻ギリギリで気合を入れて乗り込んだ最後尾の車両にて、ドアが閉まるか閉まらないかの瀬戸際に立たされたわたしは、手すりもつり革も触れない位置にいたため、天井側のドアフレームに指先を当てて電車の発車を待った。
(このドアさえ閉まれば、わたしが降りるまでこちらが開くことはない)
乗り込めさえすればこっちのものだ・・という一心で、何度も開閉を繰り返すドアを背にわたしは耐えた——そしてついにドアが閉まった。
乗ってしまえば勝ったも同然・・と思っていたのだが、先ほど、バランスを保つためにドアフレームへ伸ばした手を下ろすことができない。そう、あまりに混み過ぎていて手を納めるスペースがないのだ。
たかが片手を上げるだけのこと——。重いものを持ったり支えたりすることに比べたら、いくらでも我慢できそうなものだが、次の駅へ着くまでの間にわたしの右腕は死にかけた。まさか、手を上げ続けることがこんなにも苦しいだなんて・・。
真っすぐ上た腕と肩周辺の血流が悪くなるのを感じる——これって、アイツが言ってた状況に似てるんじゃないか?
刑務所にて保護房(暴れたり興奮したりしている受刑者を鎮めるために、一時的に収容する房。懲罰目的でもある)へ入れられた友人は、拘束着で両腕を前後で固定された状態で何日も過ごした経験がある。その際に、一時間に一度くらいの割合で刑務官が腕の左右を逆にしてくれたのだそう。それをしなければ、おそらく背後に回された腕の血流が滞り、大変なことになるからだろう。
そんな恐ろしい話を、満員電車で挙手を続けるわたしは思い出した——あぁ、ただ手を上げているだけなのに、自由が利かないというのはこんなにもつらいことなのか。
そうこうするうちに、ようやく次の駅へ到着した——よし、これで助かった!
ところが、まさかの降りる客が少ない上にさらに多くの乗客が押し込んで来るではないか・・オワッタ。
わたしの周囲はスペースができるどころか、さらに密度が高くなっていく。当然ながら、右手を下ろすことなどできるはずもない——。そんな苦痛と絶望に打ちひしがれながら己の右腕に目をやったところ、ふと右隣りに立つサラリーマンと思しき男性と目が合った。
彼も同様に右手でドアフレームを押さえ、左手にバッグを提げていた。そんな「同じ境遇に立たされている我々」は、まるで戦場へ赴く同士のような仲間意識が芽生えた。
わたしと同じく、上げた手を下ろすことができずに手の置き場に苦戦する彼だが、背が高いのでまだ腕に余裕がありそう。それに比べてわたしは、指先を精一杯伸ばさなければフレームの上部に触れることができないため、物理的な支えがなければ自分の腕を維持することすら難しい。
・・と次の瞬間、電車の揺れにバランスを崩したわたしは、支えにしていた指先がフレームから外れてしまい、前に立つ女性の後頭部にエルボーを食らわしてしまった。
「ご、ごめんなさい!!」
小声で慌てて謝罪するわたしに向かって、振り返りながら「大丈夫ですよ」と笑顔で許しを与える女性。その横顔には「これだけ混雑した車内で、肘が当たったり足を踏んだりするのは当然のこと」という、寛大な理解と聖母のような優しい心が垣間見えた。
そんなやり取りを見守っていた戦友と再び目が合ったわたしは、「もはや右腕がヤバイです」と苦笑いしながら伝えたところ、「僕もです」と彼もまた同じ境遇であることを報告してくれた。
さらに、「僕たち男性陣は、毎日こんな感じですよ」と、おそらく痴漢の冤罪対策として手を上げているのであろう事実(防衛努力)を、皮肉交じりにこぼしていた——男性って、大変なんだな。
そしていよいよわたしが降りる駅・・と思ったら、戦友に加えてエルボーされた女性も同じ駅で降りることが発覚。
「僕はここで降りるので・・」
「あれ、わたしもですよ!」
「わ、わたしも・・」
そんな偶然に三人で顔を見合わせて笑ったところで、戦友が「では、気を付けて行ってらっしゃい」と、我々女性陣を先へ促す素振りを見せた。
勤務先やスポーツジムが同じであれば、なんとなく会話をするのも分からなくはない。だが、電車内という公共の場で、しかも関連性など皆無の赤の他人同士がこのようなコミュニケーションを図るのは、日本においては珍しいことだろう。
だが、戦友の男性もエルボーかました女性も、同じコミュニティにいたらきっと仲良くなれるタイプだろうな・・と、密かに確信した。
殺伐としたコンクリートジャングルにて、いや、拷問に近いすし詰め状態の満員電車にて、ちょっとした「人間らしさ」を感じる場面に立ちえ会えたことで、ウェットなエネルギーをもらったわたしなのである。




















コメントを残す