まだ熱い鍋と豚汁

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どんな高価なプレゼントよりも嬉しくて感動的なのは、やはり「手作り料理」をもらうことだろう。

無論、たくさん焼いたクッキーの一枚だったとしても嬉しいに決まっているが、その一つのために・・つまり、「わたしのために作ってくれた一つ」だったりするとなお嬉しい——そう、それがおむすびなのだ。

 

おむすびというのは一つ一つを完成させる食べ物のため、複数個のおむすびをもらったとしても、厳密には「完成品を複数個」ということになる。だからこそ、一つ一つの形や大きさ、海苔や胡麻の量などが微妙に違って当然だし、その一つ一つがわたしのために作られた至高のギフトといえる。

このような理由から、殊に”手作りおむすび”に靡(なび)くわたしなのだが、今回はそれどころの騒ぎではなかった。なんと、大きなおむすび6個に加えて、作り立ての豚汁が鍋ごと目の前に置かれたのである。

 

 

「ちょっと重いんだけど、だいじょうぶかな?」

そう言いながら、細い腕で大きな鍋を持ち上げる友人。透明なガラス蓋越しに中を覗くと・・そこには、まるで宝石のようにキラキラと輝く豚バラ肉や根菜類、コンニャクたちが眠っていた。

——おっと。ちなみに「宝石のようにキラキラと輝いていた」のは、単なる比喩表現ではなく「豚肉から溢れ出る新鮮な脂(油)」が、なみなみと注がれた具材や汁をコーティングするかのように光を放っていたため、そう感じたのだ。

(なんて贅沢なプレゼントなんだ!!今日まで生きててよかった!)

 

ステンレス製の大きな鍋は、触れるには熱すぎるほどの粗熱を帯びていた。要するに、作り立てをすぐさま運んできてくれた・・といいうことだ。しかも、かなり細身で華奢なフィジカルの彼女が、重たい上に運びにくい形状である「汁物」を鍋ごと——加えて、おむすび6個を乗せた状態で、電車に乗ってわざわざ持ってきてくれたのだから、もうそれだけで美味さの隠し味は完成したも同然。

そんな「漫画に出てくるような理想の豚汁」を鍋ごともらったわたしは、いそいそと帰宅するとさっそく味見をした——う、うまい!!!

 

友人がこの豚汁を作り終えてからどのくらいの時間が経過したのかは分からないが、未だに温かさが残る具材と汁をサッと胃袋へと流し込むと、さっそく二杯目に手を伸ばした。

(・・にしても、この「お玉」という調理器具が我が家に存在してよかった)

料理をしないわたしがどのような目的で購入したのか・・いや、誰かからもらったのか、はたまた汁物を鍋ごともらった際に付属していたのかは覚えていないが、なぜか自宅で発見した「お玉(レードル)」のおかげで、鍋から直に食べることなくカップに移して最後の一滴まできれいに摂取することができた。

これは、保存の観点からも衛生的であり推奨すべき方法である。言うまでもないが、鍋いっぱいの豚汁を女性が一度に食べ切ることはないので、残りは明日・・となるのが一般的。そしてわたしもそのように考えていたため、楽しみを明日へ繋ぐべく容器によそってはしみじみと味わっていたのである。

 

それにしても、なんとも言えないきめ細かな味わいと良質な豚バラ肉が、絶妙かつ極上なまろやかさを演出している。おまけに、食べやすいサイズにカットされた根菜とコンニャクからは、相手を思いやる気持ちが溢れている。それよりなにより、半分以上を食べ切ったにもかかわらず、まだ温かさの残る豚汁の底力には感服するしかない。加えて、作り立てを急いで運んでくれた友人の優しさと行動力にも、心からの感謝を表したい——。

 

 

改めて告げる必要もないだろうが、鍋いっぱいの豚汁は一滴も残らずこの世から消えた。結局のところ、お玉を使おうが小さな容器に移しながら食べようが、美味い豚汁は一瞬にして取り込まれてしまうのだ。

無論、おむすび6個も瞬殺されたため、相当の苦労を強いられながら運んでくれたであろう友人の労力は、たったの一時間で消費されてしまったことになる。せめて明日に持ち越すことができれば、彼女の労力も無駄にはならなかったかもしれないが、これでは申し訳なさすぎて報告しづらいではないか——。

 

そんなことを思いながら、豚汁を我が胃袋へ届けてくれた立役者であるステンレス鍋を、心を込めて何度も洗うのであった。

 

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