春菊天そばが似合うはずだった私

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(・・なるほど)

言われてみればその通りだが、とにかくわたしは嬉しかった。友人から「春菊天そばが似合う」と言われ、大喜びしたのである。

 

 

昨日、池袋駅構内のそば店にて「春菊天そば」を久しぶりに食べた。牛丼チェーン店に率先して入ることはないが、立ち食いそばならば吸い込まれるように入っていくわたしは、柔術の練習まで30分ほど時間があったため、駅構内のそば店で時間調整することにしたのだ。

「時間調整ならば、カフェでいいのでは?」

——そりゃそうだ。普段ならばそうしているのだが、昨日はたまたま日中に美味いコーヒーを大量に飲んでいたため、ここへきてさらに「時間つぶしでコーヒーを飲む」という選択肢はなかった。とはいえ外は寒いしどこか店に入りたい・・おまけに、できれば改札は出たくない。なぜなら、改札の外は見渡す限りのヒト、ヒト、ヒト。あんな人混みの中で「ちょっと入れる店」など探せる気がしないからだ。

 

・・と、その時わたしの目に飛び込んできたのが”そば店”だった。改札手前でひっそりと営業しているその店は、立ち食いそば形式ではあるが座席が用意されており、ほぼ満席状態で食べ終わる客を待つ列ができていた。

たしかに、立ち食いそばといえばスピード勝負が醍醐味。おしゃべりしながら長居するジャンルの飲食店ではなく、どちらかというと見ず知らずの他人にまみれてスピードを競う競技といえる。

(とりあえず、ここでいいか)

猫舌である上に麺類をすすることができない・・というハンデがわたしにはあるが、カフェ以外で暖をとりつつ時間つぶしのできる場所が見当たらない今、このそば店を逃せば難民となるのは明白——ならばいつもの、春菊天そばでいこう。

 

立ち食いそばで最も好きなメニューは、「春菊の天ぷらがのった蕎麦」だ。店によっては春菊天が存在しない場合もあり、そんな時は「紅しょうが天そば」を代替品としてチョイスするわけだが、幸いにもこの店には春菊天が存在する。

これだけでも今日一日のラッキーを使い果たした気分だが、問題はお味。春菊天の衣がサクッとしており、咀嚼のたびに感じるあの苦味と葉っぱ独自の旨味が、ちゃんと口の中で広がるのだろうか——。

そんなことを思いながら、「春菊天そば大盛り」のボタンをタップした。

 

(・・うん、いい感じの衣だ!)

天ぷらというのは、まず最初にカラッと揚げられた衣へ歯を突き刺すところから始まる。そして、サクサクの衣に包まれた中身へ到達するや否や、具材と衣の見事なコラボにより「天ぷら」というシンプルかつ奥深い一品が完成するのである。

そのため、衣がべちゃっとしていたりゴリゴリに硬かったりするのはNG。あくまで中身を引き立てる存在であり、シルクのドレスをまとったお姫様でなければならないのだ。

——そんな小難しい条件を、この春菊天そばはクリアしていた。

 

 

わたしは抹茶とチーズケーキが大好物だが、春菊天も好きだ。とはいえ、春菊自体が好きなのか?と問われれば、「べつにそこまで好きではない」というのが正直なところ。

不思議なもので、さほど好きでもない野菜である春菊が、衣にくるまれ揚げられていれば好物に変身するのだから、調理方法によって大きく様変わりするのが”食べ物の持つポテンシャル”なのだろう。とにもかくにも春菊天そばは、わたしの蕎麦ランキングにおいて不動のトップに君臨しており、他の追随を許さない一杯なのであった。

 

そんな春菊天そばが「似合う」と言われたら、どう考えても嬉しいに決まっている。そして、インスタに投稿した春菊天そばの画像を見た友人が、

「春菊天そばに合うよね~」

と、メッセージをくれたのだ。——うんうん、ありがとう。さすがキミなら分かってくれると思ったよ。そう、わたしこそが春菊天そばが似合うオンナなのだ!

 

そして、喜びと感謝を伝えたところ、しばらくしてからこんなメッセージが届いた。

「あ、春菊天が蕎麦に”合う”・・って意味ね。春菊天そばが”似合う”ではなく」

その一文を読んだわたしは大きなショックを受けた。——わたしが「春菊天そばの似合うオンナ」て意味じゃなかったのか。春菊天が蕎麦とマッチする・・という意味で。

そしてがっくりと肩を落としていたところ、

「春菊天そばが似合うと言われて、喜ぶ要素もナゾなんだけど・・」

と、追加の感想が届いた。

 

(え、なんで??「ガトーショコラが似合う」とか言われるより、よっぽど嬉しいんだけど・・・)

 

 

いずれにせよ、ガトーショコラが似合うはずもないのだが、それでも「春菊天そばが似合う」と言ってもらえなかったことが、とても悲しいわたしなのであった。

 

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