グランクラスの心得

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(お盆でもなければ夏休みでもない、ましてや修学旅行の学生がいるわけでもないのに、なぜこんなに混んでいるんだ?)

所用で新幹線に乗ったわたしは、座席がほぼ満席であることに衝撃を受けた。なんてことはない9月の終わりの平日に、北陸新幹線——しかも長野が終点である”あさま”の指定席(普通)およびグリーン車が、ほぼ空いていないとは驚きを通り越して事件である。

 

これがまだ、金沢や富山方面まで続く新幹線ならば「仕方がない」と思えなくもない。利用客の可能性として、距離が延びれば人数も増えるのは理解できるからだ。

ところが、その手前の長野止まりであるにもかかわらず、しかもウインタースポーツのシーズンでもない平常時の今、なぜこんなにも混んでいるのかまるで理由が分からないのである。

 

ちなみに、指定席(普通)というのはいわゆる指定席のことで、それとば別にTRAIN DESKと呼ばれるビジネス専用車両が設けられており、この車両ではウェブ会議やパソコン作業などができる。これにより、今まではデッキへ出て通話をしていたビジネスマンたちも、心置きなく——とはいえ必要最低限のマナーを守りつつ、移動時間を仕事に充てられるというわけだ。

そんなビジネス車両ならばわずかに空席があるのだが、大声で不毛な議論を交わすヘッドフォン姿の”なんちゃって仕事デキルマン”がたむろする空間に、無関係であるにもかかわらず強制的に自分も参加しなければならない・・という状況を想像すると、反吐が出るほど御免被りたい。

なお、ビジネス車両ではない普通の指定席の空席は、三人掛けの真ん中のみ。これは運が悪いと最悪な環境となるため、わざわざ特別料金を払ってまでそのような賭けに出るほどの度胸はない。

となると、自由席しかないのか——。

 

だがグリーン車と指定席がこのような状況で、自由席が空いているとは到底考えにくい。言わずもがな、必ずや空席はあるだろう。とはいえ、血眼になって隣が空いて言える席を探すというのも、今日の気分的にはそぐわないしそこまでやる気力もない。あぁ、なんで今日に限ってこんなにも混んでいるんだ。

 

(いや、グランクラスがあるじゃないか・・)

 

グランクラス——それは限られた金持ちだけが利用できる、贅沢の極みともいえる移動空間の名称。飛行機でいうところのファーストクラスであり、新幹線とは思えないほどのラグジュアリーかつ快適な時間を提供してくれる、まさに異次元の車両である。

そして言うまでもなく”お値段”も破格の高さ。端的にいうと、グランクラス料金だけで長野を往復できるため、庶民にとってはとてもじゃないが手の出ない代物なのだ。

(乗車券4,070円、特急券3,330円、グランクラス料金7,340円——うぅん、何度見直しても金額に間違いはない・・)

 

ということは、やはり全てをあきらめて、自由席にて死んだ魚の目をしながら長野まで運ばれる・・という手段を選ぶしかないのか。

いや、そんな不快かつ不健康な状況に身を投じられるほど、わたしの人生に残された時間はない——よし、覚悟を決めよう。

 

 

こうしてわたしは、ラスト2席となったグランクラスを選択したのである。

カネに余裕があるわけでも、なにかいいことがあったわけでもない。ただ、座れる保証のない自由席のチケットを買う度胸がなかったのだ。

 

グランクラスに足を踏み入れると、そこはまるで高級ラウンジと見間違うほどの洗練された美空間が広がっていた。さらに、本物かフェイクか分からないが上質なベージュの革が張られたシートと、流線形のフォルムで統一された自分だけのコクピット・・あぁ、なんという贅沢!!

 

飛行機のファーストクラスも新幹線のグランクラスも、そのシートに座ることを目的とするもので、断じて”贅沢な移動手段”として選んではならない。なぜなら、地方のホテルで一泊できるほどの料金を払ってまで、贅沢な移動をしたい・・などと思うのは、貧乏人に毛が生えた程度の見栄っ張りな庶民であり、心の余裕のなさからもその空間を満喫することができないからだ。

とどのつまりは、潤沢な資金と余裕のある心を持ち合わせた上級国民のみが、こういった贅沢を「当たり前」として受け入れられるのである。

 

・・などと分析しながらも、シートを限界までリクライニングさせ、あぐらをかきながら瞼を閉じるわたしなのであった。

 

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