偶然であることに間違いはないのだが、それにしてもこのタイミングで——ということが、ここ最近よく起こる。もちろん、偶然バッタリ出会う可能性がある場所であること、たとえばわたしか相手かどちらかが住んでる地域であったり、勤務先や習い事の所在地だったりするのだが、とはいえこんなタイミングで会うとは予想だにしないわけで、にもかかわらずなぜか実現してしまうのだ。
昨日の出来事——近所のかかりつけ医の元へ向かうべく、それ以外の用途では使わないであろう道を歩いていたところ、背後から「後ろ姿が強そうなのよ」という声が聞こえてきた。
とくに聞き覚えのある声でもなく、その辺を歩く女性がおしゃべりをしているのだ・・くらいに思ったわたしは、振り向くことも会話の内容に耳を傾けることもなく歩き続けた。
ちなみに、その声を聞く前からある人物のことを思い浮かべて——というか、ある友人の顔がふと脳裏に浮かんでいた。その友人とはこれといって特別な関係性ではなく、強いていえば「近所に住んでいる」という程度の間柄だが、地区が異なるため出くわしたことは一度もなかった。
そんな彼女のことをなぜか想起したわたしは、「もしも向こうが年下だったならば、アゴでこき使ってたかな?」など、どうでもいい妄想に耽っていた。実際のところそこまで親密な関係でもなく、職場やコミュニティが同じというわけでもない。直接顔を合わせるのは年に数回程度で、日常的に彼女を思い出すことは少ない・・というくらいの距離感。
にもかかわらず、なぜかふと「ありえない”もしも”」について思いを巡らせていたのだ。
そうはいうものの、SNSを開けば友人の顔が目に入るし、まったくもって思い浮かべたことがないわけではない。よって、無意識にわたしの中で生きていたのかもしれないが、「とはいえ」のドンピシャのタイミングで、今まさに脳内で動く彼女と同じ人物と直に対面したのである。
背後から近づく声——というか、なんか悪口言ってないか?という内容の独り言に対して、待ち構えていたかのようにゆっくりと振り向くわたしは、驚くどころか「あぁ、やっぱりね」とつぶやいた。
「あんたねぇ、後ろから見てて強そうなのよ」
そう言いながら自転車でわたしの横へつけた彼女に対して、「今まさに、あなたのことを考えていたんだよ」と告げたところ、その言葉に半信半疑の様子だったが、「だから驚かなかったでしょ?」と付け足すと「あ、たしかに」と納得してくれた。だって、事実なんだから——。
今回の出会いが不思議なのは、感情的なものが一切なかったことだ。「会いたい」「会いたくない」という気持ちがあれば、偶然出会ったことに何らかの意味や感情を抱くだろう。だが、そういう気持ちは皆無の状態で、ただ何となく「もしもこうだったならば・・」という妄想を膨らませていたところへ、当の本人が現れたのだ。
わたしが呼んだのか、それとも彼女に呼ばれたのか——。
あの場所あのタイミングで出会えたことに、なにか意味があるとは思えない。なぜなら、交わした会話も大したものではないし、あの時友人と会っても会わなくても、互いの人生に何ら影響は及ぼさないからだ。
とはいえ、そんなことは未来にならなければ分からない。もしかすると、このどうでもいい偶然が、未来の「何か」のトリガーになるのかもしれないし、むしろそうであってほしいと願いたい。
それにしても、思い浮かべていた人物が目の前に現れると、驚きよりも「やっぱりね」となぜか腑に落ちる感覚になることを、改めて知った。
そして、会いたいと願う人には会えず、その代わりといってはなんだが、ただ何となく思い浮かべた人からは連絡が来る——そんな日々を送るわたしなのであった。
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