遅刻の原因は、逡巡(しゅんじゅん)にあった

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「え・・試合、見に行かないんですか?」

そう言われた直後から、わたしはみるみる具合が悪くなり、もはや誰の声も耳に入らなくなっていた。

 

 

ブラジリアン柔術の大会が横浜で開催されているが、誰かの試合を見に行ったことのないわたしは、今回もいつも通り会場へ出向く予定はなかった。

だが今日は、ちょっと特別・・というか、日頃から世話になっている練習パートナーの友人が、一年半ぶりに試合に出場するということで、わたしも朝から楽しみにしていたのである。

 

しかしながら、そんな気持ちとは裏腹に、現地へ駆けつけて応援するつもりはなかった。これといって特別な用事があるわけでも、試合会場が遠いわけでも、はたまた事前予約が必要というわけでもない。

ただ単に、そういう習慣のないわたしにとっては、「後で試合動画を見せてもらおう」というくらいの心づもりだったのだ。

 

もちろん、友人にはいい試合をしてもらいたいし、その結果を早く知りたいと思っている。にもかかわらず、現地観戦という選択肢がわたしにはなかったのだ。

 

そんなことを考えていたところ、奇遇にも会場にいる別の友人から「〇〇の応援に来ないの?」というメッセージが届いた。これを機に、冒頭の発言をした友人たちと「わたしが置かれた現状」について確認してみたところ、みるみる雲行きが怪しくなっていった。

 

「あんなに一緒に練習してて、試合を見に行かないなんてことある?」

「久々の復帰戦なのに、本当に行かなくていいの?」

「八王子や千葉ならまだしも、横浜だよ?全然近いじゃん」

「午後からだから余裕もあるし、行ったほうがいいんじゃないの?」

 

——いわれてみればその通りである。試合に出る友人は良きメンターであり練習パートナーであり、彼女への「恩」といったら言葉では表せないほど多大であるのは間違いない。

しかも、今から・・いや、一時間後に出発したとしても、むしろ早すぎるくらい余裕で会場に到着してしまう。要するに"迷うことなど何もない"というわけだ。

 

ところが、わたし側の大きな課題として、早々に目的地へ着くことを嫌う傾向にある・・という点が挙げられる。約束の時間まで仕事をするとか、カフェでコーヒーを味わうとか、何らかのタスクがあれば別だが、「ただ単に早く到着する」ということが、どうも苦手な性質なのである。

そこで、友人の試合開始10分前に会場へ到着するよう、ルート検索を行ってみた——まぁ、この乗り換えでいいだろう。

 

試合会場の最寄り駅まで最短でたどり着く、無難な乗り換え方法をスクロールしながら、「念のため、一本前の電車がいいかな?」「いや、むしろ次でも間に合うんじゃないか?」などと、前後の猶予について検討していたところ、

「そんなギリギリじゃなくて、もっと早く行けばいいじゃん」

と、至極まっとうな突っ込みを受けた。無論、わたしの“性質“を力説したところで、単なるわがままだと一蹴されて終わるだろう。だからといって、「余裕をもって到着する」という行動を選べない事情は、本質的な部分であるため変えることは難しい。

 

(あぁ、いったいどうすればいいんだ・・・)

今回ばかりは遅刻ができないというプレッシャーと、かといって早く到着することもできないジレンマが、濁流の如く交互にわたしを襲う。

(できればジャストに会場入りしたいが、それは駅から会場までの間で調節すればいい。となると、警戒すべきはJRの遅延か・・)

脳内でグルグルとシミュレーションを繰り返すうちに、だんだんと具合が悪くなるのを感じた。気分は沈み、もう何も考えられないほど窮地に追い込まれている——。

 

などと被害妄想に耽っていたところ、突如、わたしは“己の遅刻癖“の根本的な原因について、解明してしまったのだ。なぜいつも、突然の不運や妨害によって遅刻をするのか——それは、到着時間の設定がギリギリだからだ!!

 

一般的には、突発的な事故やアクシデントを想定して、余裕のあるスケジューリングをするわけだが、わたしは常に「ギリギリで間に合うこと」を目的としているため、ちょっと電車が遅れたり道で老人が倒れていたりすれば、それだけで遅刻が確定するのだ。

そもそもの時間設定に問題がある・・という事実には薄々気づいていたが、そのメカニズム(厳密には、ニューロメカニズム)が明確になったのは今回の件がきっかけだった。そのため、わたしは思わず「なるほど、そういうことだったのか・・」と自己完結ながら腑に落ちてしまったのだ。

 

そしていつしか、その場にいた者が一人消え二人消え、"今すぐにでも準備を始めるべき張本人"といえるわたしが最後まで残る・・という、これまた遅刻濃厚な雰囲気が漂い始めた時、

「そうやって逡巡(しゅんじゅん)するうちに、時間が過ぎて遅刻するんだね」

と、先に帰ろうとした友人が、的を射た発言を残して去っていった——そうか、到着の時間をああでもないこうでもないとやっているうちに、どんどん時間が過ぎてしまうのか。

 

「だったらいっそのこと、“早く到着する“という選択をすればいいじゃないか!!」

・・もはや、くだらなすぎて見捨てられるレベルだが、そんなことは百も承知。それでも、いかんせん本質的な部分がアレなわけで——などと言っている場合ではない。急いで身支度を整えて、電車に飛び乗らなければ間に合わない時刻を迎えようとしていた。

 

(ギリギリではあるが、今できるベストを尽くそう)

 

 

冒頭の会話から3時間が経過した頃、わたしはようやく重い腰を上げたのであった。

 

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