酔っ払いが見せた奇跡のデュオあるいはトリオ、カルテット?

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大学病院に勤務する薬剤師の友人はこう言った。

「ドクターでもナースでも、医療従事者っていうのは"おせっかいなヒト"がやる職業なのよ。じゃなければ、病院という過酷な環境で"やりがい"を感じることなんて無理だからね」

・・おっしゃる通りである。なんらかの不具合を訴えて病院を訪れる患者たちの相手をするなど、短期間であればこなせるだろうが、毎日繰り返すとなればこちらの具合が悪くなる。それを日々笑顔で受け入れるなど、元来の性質として"お節介焼き"でなければ成り立たないのは明白だ。

そして病院だけでなく、介護福祉や療養施設などで働くスタッフにも頭が上がらない。それだけではない、幼稚園・保育園のスタッフらも同様に尊敬に値する。なにせ病人や怪我人、老人、幼児など、自立して社会生活が送れない者たちを支え、安心して暮らせる環境を与えてくれるのだから、「自分のことで精一杯!」などとほざく雑魚(わたし)には到底無理な偉業といえる。

 

そんな友人とともに溜池山王駅のエスカレーターを上ろうとしたところ、逆側にある下りエスカレーターを降りたところで、一人のオッサンがうずくまっていた。さらにその周りを囲むように、ノリのよさそうな兄ちゃんと真面目そうな男性、そして誠実そうな女性が立っていた。

(早くアイスを食べないといけないから、ここはスルーし・・・)

いそいそとエスカレーターに足を乗せようとしたわたしは、友人が動かないことに気がつき慌ててバックステップを踏んだ。すると彼女は、心配そうな表情で彼らを見守りつつも、無理に立ち上がろうとするオッサンに向かって「ダメよ!骨折してるかもしれないから、そのままジッとしてて」と、厳しくも優しい声で諭していた。——さすがは医療従事者。

 

どうやらオッサンは下りのエスカレーターを転げ落ちた模様。実際に落下の瞬間を見ていた者はいないが、唯一、誠実そうな女性が「かなり上のほうから落ちたと思う」と証言しており、出血はみられないもののどこかを骨折している可能性は否めない。

すでに駅員へは連絡済みとのことで、今はその到着を待っているわけだ。それにしても、結構な高さから転がり落ちるって、脳梗塞でも発症したのか?それとも酔っぱらってるとか——。

白髪まじりのオッサンの後頭部を見つめながら、果たして病人なのか酔っ払いなのかが判断できないわたしは、まるで土下座しているかのようなオッサンの前にしゃがむと、

「ねぇ、酒飲んだ?アルコール入ってる?」

と、聖母マリアのように優しく問いかけた。するとオッサンは「うぅ・・」とうめきながらも、

「の、飲んでない」

と答えた。——酔っぱらってないのにエスカレーターを転げ落ちたとなると、マジで脳でなにか起きてるんじゃないか?むしろ骨折よりもそっちが心配だが・・・。

 

しばらくすると駅員が駆け寄ってきた。そして「救急車呼びますね」と言いながら、本人の承認を得るべくオッサンに話しかけた。するとオッサンは「救急車はいいです、もう歩けるので・・」と言いながら、やや慌てた様子で顔を上げた。——具合が悪いのか、表情が乏しいし顔色も悪い。

そして続けてこう言ったのだ。

「エスカレーターから落ちてスッキリしたので、もう大丈夫です」

この発言を聞いて、わたしは確信した——こいつは酔っ払いだ。それと同時に、駅員が「ん?アルコール臭いね」と呟いた。オッサンの目の前にいる駅員は、呼気に混じってアルコールを感知したのだろう。ほらね、やっぱり・・・

 

とその瞬間、オッサンの奥で見守っていたノリのよさそうな若者と、わたしの隣りで傍観していた長身の若者とが、二人同時に口元を抑えて「あ、それはオレかも・・」と言いながら後ずさりしたのだ。そして互いを見ながら、「アルコール臭いって言われたら"オレかも"ってなるよね」などと、恥ずかしそうに笑いながら場を和ませていた。

その後、オッサンは駅員の手を借りて立ち上がるとフラフラと歩き出した。それを見たわたしが「何線に乗るの?」とオッサンに尋ねると、「えー、千代田線」と答えたのを聞いていた駅員が、「とりあえず、千代田線まで連れて行きますね」と、苦笑いでオッサンと二人三脚のフォームで改札方面に消えていった。

 

これにて一件落着・・という感じで、野次馬たちも散り散りに去って行った。

わたしと友人はエスカレーターを上りながら、「アルコール入ってるから今は痛みを感じないかもしれないけど、明日になって折れてたりするんだよね」などと、オッサンの明日を気遣っていた。

すると、真後ろに立っていた男性二人——先ほど、口を押えてのけぞったあの二人——が、突如、われわれの会話に加わってきたのだ。

「いやぁ、先ほどはお騒がせしました」

見た目はチャラいが中身はしっかりした若者と見える。先ほどはお騒がせした・・ということは、彼らの仲間だったのか?あのオッサン。

「でも、急に酒臭いとか言われたから、『え?オレじゃね?』って焦ったよね」

そう言いながら、互いに顔を見合わせて爆笑していた。それを見たわれわれも、思わず笑ってしまった。・・こうして、ゆっくりと上昇するエスカレーターと共に、4人の男女は先ほどの事件めいた出来事を振り返るのであった。

 

 

「・・ねぇ、あの二人友達じゃなかったの?」

ホームで電車を待っていたわたしと友人の横を、先ほどの若者二人が通りすぎていった。しかし、長身のほうは別のエスカレーターを上り、ノリのよさそうなほうはホームをそのまま直進しようとしていた。

二人は微妙な距離を保ちつつ、別れの挨拶もせずにスマホに顔を落としながら、酔いもさめたと言わんばかりにサッサと歩いている——あいつら、見ず知らずの他人だったのか。

 

あんなにも仲良く笑い合っていたのに、まさかの初対面とは驚きである。というか、酔っ払い二人が見せた"奇跡のコラボ"という面白い事実に、「日本もまだまだ捨てたもんじゃないね」と、思わず年寄りめいた感想を述べるわれわれであった。

 

Illustrated by 希鳳

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