顧問先の社長との会話の中で、「能力のあるコミュ障」という人物像について触れる機会があった。技術力や処理能力は高いのに、コミュニケーション能力が低いためビジネスチャンスを逃すタイプがいる・・という話だ。
彼の会社は、ネットワークの設計やシステムの運用・管理を行っている。そのため、業務委託も含めてシステムエンジニアを雇用しているのだが、パソコン相手には実力を発揮できても人間相手にはうまくいかないSEも多いのだそう。
そのため、コミュニケーション能力の高いこの社長が間に入ることで、社内的にも対外的にもいい流れが作れるのであった。
というか、コミュ障であるかどうかというより、自分の得意な作業のみを黙々とこなしたいタイプの人間にとって、わざわざ他人と顔を突き合わせることはストレスとなる。
さらに、労働時間を拘束されることも無意味であり、その日のタスクが終了すれば業務終了・・で、何が悪いというのか。
「他の人が終わってないから、終業時刻までは席を離れてはならない」
これこそが、モチベーションを下げる最低最悪なやり方だ。能力のみならず、作業効率のいいやり方で業務を遂行したのだとすれば、余らせた時間はその人への"ご褒美"でいいだろう。
「平等」だの「公平」だの、敗者への配慮を施したくだらない一体感こそが、貴重な才能やセンスを潰しているのだから。
その点、接客サービス業は嫌でも人間と接しなければならず、短時間で業務を遂行したところで、高評価に繋がるわけでもない。
こればかりは相手が人間である以上、相手の評価こそがすべてとなるため、どんなに自分が「正しい」と思う対応をしたところで、相手が不快に感じたらそれは「間違い」だったことになる。
そんなことを考えているうちに、眼科の主治医が聞かせてくれた話を思い出した。それは、弱視や斜視の子どもに対する治療についてだった。
「治療のための眼鏡をかけさせるのを、拒むお母さんがいるのよ」
確かに、幼い我が子が眼鏡を嫌がってぐずったり、親自身が眼鏡の存在を気にして外してしまったりと、眼鏡が治療であることを忘れている親はいる。
「この子にとって今が大切な時期なのに、眼鏡なんてかけさせられません!」
そう言って転院してしまった弱視の患者もいるのだそう。もちろん、患者である子ども本人の考えではなく、親の勝手なエゴなのだが。
ちなみに片眼が弱視の場合、そちらの眼のみを矯正するために眼鏡を装用しなければならない。それでも改善しない場合は、健眼遮閉(けんがんしゃへい)といって、健眼(弱視ではないほうの眼)を眼帯などで覆い、あえて弱視眼のみを使わせることで視力の改善を図るのだ。
眼鏡にせよ眼帯にせよ、ビジュアル的にも治療中であることが分かるため、本人も不快だろうし親としても悲しい気持ちになるかもしれない。だからこそ、愛する我が子が眼鏡や眼帯を嫌がるならば、「そんなもの取ってしまえ!」となるのも分からなくはない。
しかしそんな勝手をした結果、己の子どもに辛く過酷な人生を歩ませることになるなど、バカな親には想像すらできないのだろう。
なんせ「眼」というのは成長する時期が決まっているため、思春期を迎える頃には視力も眼球の大きさも固定される。そして成長が止まってからでは、どんなに健眼遮閉を試みようが、その子の眼が成長することはないのだ。
「あの時、どんなに可哀想でも眼鏡をかけさせていれば・・・」
そう思った頃には時すでに遅し。我が子にどれほど謝罪しようが、取り返しのつかない過ちを犯したことに変わりはない。それすなわち、子どもの人生を奪う行為でもあり、子どもからすれば恨んでも恨みきれない憎悪を抱くかもしれないわけで。
「今だけじゃないんだよね。とくに子どもは、将来があるんだから」
ため息をつきながら電子カルテの記入をする主治医は、その母親から「高圧的な態度が気に入らない」とか「もっといい先生に診てもらいます」などと捨て台詞を吐かれたらしい。
だがわたしにとって、この人は唯一無二の名医なのだ。眼底検査の正確さやオペ経験の豊富さはさることながら、元来、勤勉であったり真面目な性格であったりと、今まで出会ってきた眼科医の中でもずば抜けて信頼できる腕と才能の持ち主である。
だからこそ、高圧的な態度というのは「それだけ絶対に必要な治療」ということの裏返しなのだ。
逆にドクターからすれば「治療の邪魔をされて、笑顔でスルーしろとでも?」という気持ちだろう。指示通りに従わなければ、治るものも治らない。経過観察をして改善が見られない場合、治療方法を変えなければならないわけで、それらも踏まえて「指示に従う」のは絶対条件となる。
それなのに素人は、接客態度・・いや、診察態度で評価するのだからやってられない。無論、最低限のコミュニケーションは必要だが、"患者様は神様"という精神を求めるのは違うだろう。
——などと言いながらも、人の振り見て我が振り直せ。いや、明日は我が身。クライアントへの対応には気を付けよう。
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