わたしはバターが好きである。しかも、バター自体が好物であるため、パンに塗るとかホットケーキに載せるとか、そういった食べ方はしない。むしろ、バターを食べるためにパンを利用するのだ。
とはいえ、ホットケーキに関してはそもそも大好物であるため、バターとホットケーキの両方を味わえるとなれば、もはや最高である。
そんなわたしは今日、シャレたフレンチの店に呼びつけられた。
「ドレスコードはないにせよ、タンクトップに短パンにビーサンは、さすがにマズいでしょ・・」
クライアントとの会食において、わたしの私服はいささか常識外れの模様。ヒトは見た目ではないはずだが、最低限のマナーとしてそれなりの格好をしてきてほしいと、田牧は言うのである。
「なんでだよ。ビーサンていっても、これはリカバリーサンダルだから高級品だよ?」
ムキになって言い返すも、呆れ顔の田牧はわたしの主張を鮮やかに無視した。致し方ない、着替えに戻るか——。
こうしてわたしは、ZARAで購入した500円のワンピースに身を包み、ソール部分のコルクが真っ黒に変色したビルケンシュトックのサンダルを履いて、颯爽と銀座へと向かったのである。
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フランス料理のいいところは、パンとバターのおかわりが無限に可能なことだ。しかも、バターが妙に美味いのが特徴。店の手作りではないにせよ、バターだけを舐めても十分に満足できるほど、一品料理としてのバターが美味いのである。
そして今回も、例外なくバターが置かれていた。しかも、8センチ四方の平べったいシートのような、あるいは薄っぺらい板チョコのようなカットバターだった。
暑さ2~3ミリの滑らかなバターをバターナイフでぬぐい取り、それを焼きたての全粒粉パンに塗りつけて食べる。・・一般的にはこのような構図になるだろう。
だがわたしにとって、それは目的を履き違えた行為であり、当然ながらあり得ない。そこで手本を示すかのように、室内の温度により柔らかくなったバターを、端からキッチリぬぐい取ると、パンの隅っこにべっとりと載せた。
・・そう、ここがポイントである。バターをまんべんなくのばしてしまってはダメなのだ。あくまでバターがメインとなるように、パンは一口の半分程度の大きさで、その面積に堆(うずたか)くバターを載せるのだ。
イメージとしては、クラッカーの上にツナやアボカドのディップを載せたカナッペのようなもの。あれはクラッカーがメインではない、その上にいる具材がメインである。
しかし具材だけでは食べにくいため、クラッカーという「食べられる皿」に載せることで、手軽にポンポン口へ放り込むことができるという、アイデアレシピなのだ。
これとまったく同じ理屈が、パンとバターにもいえる。メインとなるバターをたっぷり載せた小さなパンを食べることで、わたしにとって「正しいバターの食べ方」を実践することができる。
その結果なにが起きるのかというと、バターとパンの残量のアンバランスが発生するのである。
「すみません、バターをください」
小声で店員にバターの追加を告げると、彼女はニコリと微笑んで新たなバターを持ってきてくれた。そして同じように、バター7に対してパン3の割合で食べ進めていくと、すぐさまバターはなくなってしまった。
「さっき追加のバターをもらったばかりなのに、あまりに短時間で頼み過ぎではないか?」という、恥ずかしさと不安が脳裏をよぎる。だからといって、バターを断念する勇気もないわけで、わたしは再び店員に声をかけ、バターを依頼した。
「ん?!バターが分厚くなってる!!!」
突如、隣に座っていた斉藤が噴き出した。なんと、かなり厚くカットされたバターが目の前に置かれたのだ。厚さはおよそ1センチくらいか。
それはまるで、黄色がかったホワイトチョコレートの塊に見える。もしもこれがホワイトチョコならば——などと妄想すると、口の中にヨダレが溜まる。
いやいや、目移りしてどうする!愛すべきバターがずっしりと運ばれてきたのだから、さっそく舌鼓を打とうじゃないか。
俄然やる気の出たわたしは、分厚いバターにメスを入れると、ケチることなくパンに載せて勢いよく口へと運んだ。
(うん、美味い!!!)
・・あぁ、至福の時である。上質なバターを存分に満喫できるのだから、身震いするほど最高な気分である。
それにしても、バターが明らかに厚くなったのは故意なのか偶然なのか。店員は素知らぬ顔で差し出したが、「こいつはバターを大量に食べるから、最初から倍の量を与えたほうがいいだろう」とでも思ったのだろうか——。
気になって仕方のないわたしは、おかわりのバターを頼むと同時に、この真偽について確認してみた。
「はい、厚めにカットさせていただきました」
・・やはりそうだったか。パンとバターの割合がおかしいオンナが来たと、厨房で噂になっているのだろう。あぁ構わないとも、メスバターゴリラとでも呼んでくれ。
こうしてわたしは、異常に分厚い板チョコのようなバターを黙々と食べるのであった。
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