なかなか一筋縄ではいかないものだな、と感じる出来事があった。
とある友人から、退職に伴うちょっとした相談を受けた。そう、わたしは一応「社労士の端くれ」のため、ちょっとした労働相談をよく受けるのだ。
顧問先の人事・労務担当者からの相談であれば、法律に沿った回答や助言をするだけだが、友人からの場合は少し異なる。
わたしの周りには賢い友人しかいないわけだが、そんな彼ら彼女らが「あえて」わたしに相談を持ち掛けてくる裏には、必ず、それなりの事情があるからだ。
「単なる自己都合で退職届を出して、それを特定理由離職にすることはできないかな?」
そもそも友人はHR業務の専門家。当然ながら、質問の意図を理解した上での発言。
ならばなぜ、このような難しい質問をするのだろうか。
「離職票の作成は社労士事務所にお願いしているんだけど、社労士事務所に3C(特定理由離職者)で作ってもらうように頼むのは、迷惑がかかるかな?」
この提案に関して、わたしは即座に「NO」を告げた。
仮にこの社労士事務所がわたしの事務所だった場合、いち従業員からの依頼で、会社が把握している退職理由と異なる理由の離職票を作成することは、会社に対する背信行為となる。
それよりも、正当な理由のある自己都合退職であれば、なにも小細工などせずとも、特定理由離職者として「3C」の離職理由コードが振られるはず。
ちなみに友人が退職する理由は、「結婚に伴う遠方への転居」のため。この理由であれば、会社が不快感を示すこともあるまい。
それなのに、なぜ?
「会社には、結婚のことも引っ越しのことも知られたくないんだ」
あぁ、なるほど――。
新卒採用から現在まで、献身的に会社へ尽くしてきた彼女だったが、プライベートな話は1ミリたりとも知られたくなかったのだ。
これは会社の闇というより、彼女が抱く会社への「正直な本音」である。長年培ってきた人間関係において、自身のプライベートを明かしてもいいという判断には至らなかったのだ。
そういえば、過去に似たような依頼があったことを思い出す。
顧問先の労務担当者から、一通のメールが届いた。いつもならば社長や役員など、何名かをCCに入れて送信してくるはずなのに、今回は彼女からわたしへ、二人だけのメールだった。
「夫が会社を解雇されまして、私の扶養に入れたいんです。必要な情報はすべてまとめてあります」
そのすがるような文面からは、普段の彼女は想像できない。
つまり、夫が解雇されたことを、会社の人間に知られたくなかったのだろう。それが社長といえども、やはり隠しておきたかったのだ。
自分の被扶養者にするということは、しばらくの間、再就職がないことを意味する。働き盛りの世代が、次の就職先も決めずに退職することなど、普通はあり得ないからだ。
そういった「世間体」のような事情からも、会社の人間に自身のプライベートが垣間見えるような出来事を、知られたくなかったのだろう。
わたしはその時、「これは会社へも伝えてありますか?」と聞くことができなかった。
日頃から、彼女を通じて手続きや書類作成の依頼があるため、会社の意向かどうかを確認したことはない。つまり今回も、あえて聞く必要などない。
ただ、普段ならば関係者の名前が連なるメールに、彼女の名前しか表示されていなかっただけで――。
わたしは、「夫が解雇された」という言葉から、彼女の切なる願いに触れた気がした。
赤の他人である社労士のわたしに、なぜ、被扶養者となる人間の状況を克明に説明したのか。それこそが、暗黙の了解だったのだろう。
会社という、大勢の人間が集まる組織において、表面上の付き合いや部署における関係性は重要である。
だからといって、自分のすべてをさらけ出すことにはつながらない。
――あぁ、なんというか、これこそが「人間らしさ」なのではないかと、勝手に納得してしまうのであった。
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