わたしはふと、「とおりゃんせ」の歌詞を思い出した。
(行きはよいよい帰りはこわい・・・)
この意味は諸説あるそうだが、いずれにせよ、往路はルンルンだが復路は恐ろしい(あるいは、疲れてどうしようもない)ぞ、ということだ。
行きは調子よく飛ばせるが、帰りはその反動でくたばってしまうケースといえば、登山、遠足、マラソン、買い物などが挙げられる。
体力の問題もあるが、物事は往々にしてこのパターンに当てはまりがち。
そして今、自分の右手前腕にできた「一筋の擦り傷」を見て、とおりゃんせの歌詞が浮かんだのだ。
行きはよいよい帰りはこわい――。
たしかにその通りだった。
*
大宮駅から徒歩25分、あるいはバスで10分。
そこには、充実した動物展示数にもかかわらず、それらを無料で楽しむことのできる動物園がある。
そう、大宮公園小動物園だ。
先日、この動物園で暮らす3頭のカピバラたちに会ってきたわたしは、その感動も冷めやらぬまま本日を迎える。
ジャンボキウイのような、はたまたでっかいジャガイモのような図体のカピバラは、無表情でチャーミング。
そんな彼らに触れたい一心で、わたしは金網の隙間から手を伸ばした。
・・・この行為こそが、「とおりゃんせ」の歌詞を思い出させることとなった。
飼育員の許可を得て、わたしはオスのカピバラ・ピースの背中を撫でようと、縦長の金網のマス目に手首を通した。
しかしピースとの距離があるため、届かない。
そこでもう少し腕を伸ばし、前腕あたりまで金網に押し込んだ。
(おぉ、ピースの背中の毛先に触れることができた!)
だがこれでは、撫でることができない――。
そこでわたしは、細いマス目に腕をグイグイと押し込んだ。
腕が水平だとこれ以上は進まない。ならば腕を縦にして、体重を乗せてさらに押し込んだらどうか。
・・・スポッ
とうとう肘まで突っ込むことに成功した。これで辛うじて、ピースの腰から背中までを撫でることができるようになったわけだ。
そこからわたしは、一心不乱にマッサージを施した。指を立ててガシガシと掻いてやった。
さらに指を立てたり寝せたり、ときには円を描くようにして、ピースのご機嫌を損ねないように必死に撫でた。
石ころを口の中で転がしながら、食後の歯磨きをするピース。
わたしへは背中を向けて座っているため、その表情は確認できない。
(もう少し手が届けば、肩のほうまで撫でられるのに・・)
だがさすがに、子どもの腕ならば余裕で通すことができても、大人の腕では無理がある。
ただでさえわたしの腕は、金網によってガッチリ固定されているのに、これ以上はどうやっても伸ばすことができない。
仕方ない、今できる限りのベストを尽くそう――。
わたしはひたすら、ピースの背中を指先で撫でた。
そして5分ほど経った頃、ピースは立ち上がり、ラメール(姉?妹?)のところへ行ってしまった。
(まぁ動物だし、人間の思うようにはいかないよな・・)
残されたわたしは、しぶしぶ腕を抜くことにした。
(・・・ん?)
う、腕が抜けない。
腕を手前に引くと、前腕で引っかかり身動きが取れなくなった。
それでも強引に前後に動かしてみるが、金網全体が大きく波打つだけで腕の位置は変わらない。
(そうだ、腕を縦にすれば少し細くなるはず!)
突っ込む際にやった動きを再び試みる。しかしなぜか前腕の太さは変わらない。
そもそも金網が肉に食い込んでおり、腕を縦にしようが横に使用が、一ミリも変化は見られない。
(まずい・・・)
小さな子どもが、カピバラを見にこちらへやって来る。わたしは焦って、腕を激しく前後に揺らした。
ガチャンガチャン・・・
金網が音を立てて揺れるだけで、腕が抜ける気配など感じられない。
すると子どもが母親にこう尋ねた。
「お母さん、あの人、腕が抜けないみたいだよ」
それに対して母親は答えなかった。
母親のほうを見ていないので何とも言えないが、想像するに、人さし指を口に当てて「シッ!」とやったのではなかろうか。
わたしは全身の力を込めてグッグッと腕を後ろへ引いた。この際、皮膚が擦り剝けようが何しようが構わない。とにかくここから腕を抜かなければ――。
*
こうしてできた「名誉の傷跡」こそが、この一筋の擦り傷なのである。
金網に腕を通した際、そこまでキツイ様子はなかった。だが突っ込んでいるうちにうっ血したのだろうか、腕が太くなってしまったようだ。
そういえば指輪も同じだ。無理矢理はめてしまうと、外すときにとんでもないことになる。
とくに幅のある太い指輪は要注意である。第一関節を通過することができず、消防署や病院の世話になることだけは避けたい。
とにかく、行きはよいよい帰りはこわい。
なにごとも、強引に突き進むのは控えるべきである。
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