頭が痛い。
片頭痛というやつか。
割れるほど痛くはないが、割れないとも言い切れない。
いや、割れたら相当な痛さだから、割れるはずもないが。
*
さっき友人と片頭痛の話をした。
片頭痛持ちの彼女は、自分に合う薬が見つからず、苦しい戦いを強いられてきたらしい。
だが最近、ビタッと効く薬と出会えたのだそう。しかしその代償として「ものすごい眠気」に襲われるとのこと。
それを聞いたわたしは、全身麻酔で眠りに落ちた時のことを思い出す。
ものすごい眠気どころか、あれは不可抗力としか言いようがない。眠気を感じる間もなく、ベラベラ喋っていたら急に落ちたのだから。
眠気というものは、本来「幸せな感覚」だ。
そのまま眠れたらどんなに幸せか、というケースが多いのが眠気の特徴といえる。
会議中、単調な作業中、勉強中、終電で帰宅途中ーー。
寝てはいけないシチュエーションでこそ、眠気という質(たち)の悪い悪魔が襲ってくる。
ーーこのまま眠れたら最高なのに。
それが許されないからこそ、眠気は崇高で尊いものとなる。
*
学生のころ、バイトまでの時間つぶしでよく山手線を使っていた。
とくに冬の山手線は、貧乏学生に夢のような一時間を与えてくれる寝台列車だった。
山手線は一周およそ一時間。それゆえ、
「あと一時間、どうやってつぶそう」
というときに非常に便利。
一時間後に再びこの駅へ戻ってくればいいわけで、途中で目が覚めても「駅名」でおよその時間感覚がつかめる。
さらに一駅、二駅寝過ごしても問題はない。反対ホームの逆回りに乗れば、数分後には目的駅に着くからだ。
そういう意味で、山手線は時計代わりにもなる。
あの頃はまだ、冬といえば雪が降っていた。電車のドアが開くと、冷たい風と共に雪が車内へと吹き込んでくる。
ドア付近に座ると、駅に着くたびに歯を食いしばり、身体をギュッと固めなければならない。
そこでわたしは連結部に接する座席を確保し、マフラーやコートを正して身なりを整える。そして頭をそっと壁へあずけると、たった一時間だが夢の国へと旅立った。
普段、車内は空いている方がいいと思うが、この時ばかりは混んでいてほしいと強く願う。
少しでも多くの乗客により、車内の温度を下げさせないようにしてほしいからだ。
これが、ガラガラの車内でドア付近に座ったりすると最悪。ドアが開くたびに目を覚まし、しばし震え、ドアが閉まると眠りにつくーー。
この繰り返しとなり、十分に夢の国を満喫することができない。
同じ一時間、どちらが有意義に過ごせるかといえば一目瞭然。
とにかく、乗客でごった返す車内で定位置さえ確保できれば、その日はもう勝ち組だ。
*
しかし電車で感じる「揺れ」と、真冬の「温かい車内」という環境は、どうしてああも眠気を誘うのだろう。
そしてあのウトウトほど、金をかけずに手に入る気持ちよさはないだろう。
(あと一駅か・・)
そんな恨めしくも口惜しい思いを噛みしめながら、降車駅ギリギリまで目を閉じる。
容赦なく開くドア。吹きすさぶ雪。遅刻できない約束。
眠気を吹き飛ばす現実に、思わず背筋が伸びる。
ーーこれがわたしの記憶にある「眠気ストーリー」だ。
*
などというどうでもいい記憶を辿るも、相変わらず頭が痛い。
眠気という幸せな感覚は、寝てはいけないシチュエーションだからこそ悪魔と呼ばれる。
ならばわたしは、寝てもいいシチュエーションで鎮痛剤を飲もうじゃないか。
頭痛も治まり、睡眠も手に入るーー。
ダブルで幸せを味わえるに違いない。
サムネはまたまた、ホナウド!
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