「三人組」というのは、ある種「安定的な組織編成」といえる。
古くは18世紀後半に生まれた童話「三匹の子ブタ」に始まり、歌手では「パフューム」、アニメでは「黒い三連星(機動戦士ガンダム)」や「キャッツアイ」、また、徳川将軍家の次点である「御三家」など、トリオで称されることは多々ある。
そして本日、われわれ「三人組」は、作戦会議のために渋谷へ集った。
*
「新渡戸ってさ、事件に巻き込まれる系だよね」
新渡戸(仮名)に向かって私が言う。
「アタシは事件を起こす系、新渡戸は何もしてないのに巻き込まれる系、んで、岡本は事件現場にいるのになぜか巻き込まれない系じゃない?」
もう一人の同席者、岡本(仮名)へ話を振る。
われわれ3人の役割はいい塩梅に分担されている。一人として共通点がなく、見事なデコボコ具合とアンバランスさが、逆にちょうどいいバランスで保たれているというか。
とくに新渡戸の得意技である「スイッチオフ」は、称賛に価する演技力を誇る。
よく「影が薄い」とか「いるかいないかわからない」とか言われる人がいるが、新渡戸のそれとは一線を画す。
なぜなら新渡戸は、たしかにそこに存在するのに、スイッチを切った途端に「地蔵」と化すのだ。
日に焼けた肌の色がまた、臨場感あふれる「地蔵」を演出する。
そして何より、新渡戸がうつむいて目を閉じていても、そこに悪意や怠惰を感じさせない「圧倒的に透明な虚無感」という武器を持っている。
通常、目を閉じてうつむいていたら、
「おい、寝てんじゃねーよ!」
と怒られるところだが、新渡戸がそうしていても誰も何も言わない。むしろ、誰もそれに気づかないのだ。
地蔵の顔というものは、目は付いているがその目が開いているのか閉じているのか、はっきりしないところが特徴といえる。
笑っているのか怒っているのか、はたまた喜んでいるのか悲しんでいるのかーー。
見る側に委ねられる「表情マジック」を、新渡戸は継承しているのだ。
無駄に存在感の強い私にとったら、到底無理な芸当。これは新渡戸をディスっているわけではなく、むしろポテンシャルの高さを妬んでいる。
(新渡戸みたいなやつが、探偵とかSPの素質あるんだろな)
かつて探偵を目指し、存在感を理由に夢敗れた私からすれば、新渡戸のあふれ出る虚無感は「魔術」に等しい。
ーークソッ!!
*
そんな新渡戸と仲のいい岡本は、これまた独特な「人心掌握術」を心得ている男だ。
のらりくらりと近づいては、事件の渦中にいながらも無傷で脱出するタイプ。
見た目は、足立区の立ち飲み屋でクダを巻く、レモンサワー好きなアロハシャツのオッサン。
だがよくよく追及してみると、住まいは都内の一等地で別荘まで保有している様子。ついでに隠し財産なんかもボロボロ出てきそうな気配。
(こいつはたしか独身、懐(ふところ)事情でも探ってみるか)
私は胸元をチラつかせながら、岡本に躙(にじ)り寄る。すると岡本、店員に向かって何やら話しかけていた。
「〇〇さんって、×××××××だよね?」
・・・・。
音声ならば「ピーーーー」の連続で、言葉が一切聞こえないやつだ。
「てか絶対に××××××でしょ?オレわかるんだよねー」
・・・・・・。
周囲の客どころか店員ドン引きでも、お構いなしに得意の下ネタを連発するメンタルには、ただただ脱帽。
そして事件に巻き込まれているにもかかわらず、巻き込まれていることに気付かず収束を迎える天才、岡本。
仮に、燃え盛る家屋のど真ん中に立たされても、迫りくる大津波と対峙しても、
「いやー、危なかったわー」
などと言いながら、レモンサワー片手にいそいそと生還する、アニメキャラばりの不死身を見せてくれる男だ。
*
「で、今日の議題はなんだっけ?」
痺れを切らした私は、地蔵(新渡戸)と下ネタ(岡本)に問いかける。
「あ、実はオレ、殺害予告受けててさ・・・」
虚無感しかない地蔵が静かにつぶやく。
それを聞いた下ネタは「そりゃ大変だ」と、他人事のように返事をしながらレモンサワーのおかわりを注文する。
・・・てか地蔵よ。相談する相手、間違えてるぞ。
コメントを残す