シルバーカー(手押し車)にぶら下がる年季の入った杖が示す、幸せの相関図

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誰しもがそんな言葉を吐けるわけではないし、やはり彼女の心が美しいのだろう——と、使い古したシルバーカーにぶら下がる杖を見ながら思うのであった。

仮にわたしが彼女と同じ境遇の人生を歩んだとしても、そんな純粋な気持ちで感謝を述べられるほど、豊かで澄んだ心は持ち合わせていないからだ。

 

 

郊外にある行きつけの珈琲店で、常連客である白髪おかっぱヘアのおばあちゃんとおしゃべりをしていたわたし。週に一度、ピアノレッスンの後に訪れるこの店の珈琲が、ストレスにより荒んだメンタルと脳みそを滑らかにしてくれる、潤滑油のような存在なのだ。

そして店を訪れる曜日と時間帯が同じだからなのだろう、過去にも何度か居合わせた彼女と、本日も遭遇することができた。小柄で肌艶のいいその女性は足が不自由なようで、外を歩く時はシルバーカーを押しながら、店内ならば杖をつきながらゆっくりと移動するのであった。

 

とはいえ、「お年寄りなので足腰が弱ってしまったのだろう」と、さほど気にも留めないわたしだったが、どうやらそれだけではない"事情"があるということを知った。

彼女の股関節には生まれつき不具合があり、中学生の頃に左股関節の手術を受けた。その当時は、股関節の手術といえば大腿骨と骨盤を直接つなげることしかできず、彼女が退院する頃——なんと、5年間も入院生活を送ったのだそう。まぁたしかに、大関節を取っ払って骨同士をくっつけたのだから、そう簡単に日常生活を送れるようにはならないわけだが——ようやく、人工関節を使った手術が日本でも行われるようになったのだ。

そのため、椅子に腰掛ける際には左サイドが真っすぐ伸びた状態になるので、背中からもたれかかるように座らなければならず、それはそれで負担のある座り方に見えた。しかも年をとってからは、長年左足をかばってきた右足にも影響が出てしまい、杖のサポートなしでは歩けなくなってしまった・・とのこと。

 

それでも、結婚をして子供二人をもうけて、ご主人が他界されてからは悠々自適に過ごしている・・と語る姿からは、間違いなくいい人生を歩んできたことが見てとれる。少なくとも、未だに独り身のわたしからすると彼女こそ勝ち組といえるわけで——。

そんな折に、今シーズン初となる半袖シャツの袖からからはみ出す、わたしの見事な二の腕を見たおばあちゃんが、「ぜひともあやかりたい」といって手を伸ばしてきた。 個人的には筋肉質であることを好ましく思っていないのだが、お年寄りにパワーを与えられるのならば・・と、グッと力を込めて上腕二頭筋を隆起させてやったのだ。

 

もはや、男顔負けの力こぶに歓喜の悲鳴(?)をあげながら、何度も撫でまわす彼女は目を細めてこう言った。

「わたしは生まれた時から足もこんなだし、力もないでしょ。だから、重いものを持ったことも力仕事をしたこともないのよ。そして、こんな(足)だから皆に親切にしてもらって幸せに生きてきたのね。だから、ありがとう・・」

決してわたしが彼女のために何かをしてあげたわけではない。ただ単に力こぶを触らせてあげただけのこと。それでも、当たり前のように他人への感謝を口にできる彼女は、股関節症があろうがなかろうが皆から好かれる素敵な女性だったに違いない。

 

怪我や病気、はたまた障害のような不自由さが、これまで見えていなかった本質的な何かを教えてくれることはある。だが、それも含めてそのヒトの人間性なのだ。

だからこそ、きっかけは些細なことであっても、当然のことく他人に感謝ができるヒトというのは、どう転んでも幸せな人生を送れるに決まっているのだ。

 

 

「あぁ楽しかった。今日もあなたから元気をもらったわ」

そう言いながら、シルバーカーに手を乗せてゆっくりと店を出ていくおばあちゃん。わたしはもちろん何もしていないが、それでも「楽しかった」と言ってもらえるならば、今日生きていてよかった・・と思えるのである。

 

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