知らぬが仏・・じゃない、「知らないというのは怖いことだ」と、改めて感じる出来事があった。
そもそも、自分とは縁のない世界のことなど、知ろうとも思わないし知ったところですぐに忘れてしまうのが、わたしという生き物である。そんなマインドだから、世間一般の常識が通用しないのかもしれないが。
とにかく、先入観や偏見を持たずに相手と対峙するのはいいが、時には最低限の情報収集を行うべきである。でないと、とんでもない恥をかくことになるからだ。
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「あそこにいる彼女、なんかすごく上手かったんだよね」
ブラジリアン柔術の練習を終えたわたしは、それとなく隣に座る"柔道女子"に向かって呟いた。すると驚きの事実が返ってきたのだ。
「そりゃそうですよ!パリ五輪出るんですから。知らないんですか?!」
わたしは恥ずかしすぎて、それ以上会話を続けることができなかった。いくら柔道に興味がないとはいえ、日の丸を背負って戦う選手のことくらい最低限知っておくべきだった。そしてどうやら、その場にいた誰もがその事実を知っており、わたしだけが浦島太郎状態(?)だったのだ。
さらに、楽しくおしゃべりをさせてもらった可愛らしい女性が、オリンピックで金メダルを獲得しているだなんて、当然ながら知らなかった。彼女の妹が、同じく銅メダリストであることは把握していた。だがまさか、あの女性が姉だとは思いもよらなかったのだ。
(もう、オリンピアンやメダリストは、そういう名札を貼っておいてもらいたい・・)
それどころか、その場にいた女性陣は全員、オリンピック内定者やオリンピックを目指す柔道エリート集団だったのだ。いや、これは事前に聞いていた情報ではあるが、同じ空間で顔を合わせると、そのあどけなさや可愛らしさ、肌の白さやモチモチさに、そんな肩書きはすっ飛んでしまったのだ。
「なんか、私がイメージする柔道家と全然ちがう。みんな可愛くて女の子らしくて・・」
スパーリング風景を眺めながら、それとなく呟くわたし。すると隣に立っていた女子柔道家(彼女も絶対に有名人!)が、
「ですよね。あたしたちの頃なんて、柔道強い女子は元ヤンが多かったですからね」
と、豆知識を教えてくれた。——これには少し驚いた。ヤンキーといえばガタイの良さより、木刀とか金属バットとか武器を持って暴れるイメージである。それなのに、対立グループをブンブン投げ飛ばすようなフィジカル強者が、当時の若者らを牛耳っていたのか。
「ヤンキーって、メンタルも強いですからね」
なるほど——。フィジカルは後天的に強化することができるが、メンタルというのは持って生まれた先天的な強さがものを言う。そこへきて強メンタル強フィジカルの元ヤンが、思春期の反抗的なエネルギーを柔道に注ぎ込んだならば、それはもう日本代表も夢じゃないだろう。
いずれにせよ、日本を背負って立つレベルの選手たちは、心技体のバランスがずば抜けている。なんせ、相手の肩書きなど知らずとも、会話を交わしただけで好きになれる人間性を兼ね備えているわけで、「この人を応援したい!」と思わせる何かがあるのだ。
これは柔道に限った話ではなく、どんなキャリアや肩書きを持つ人であっても、色眼鏡なしで接したときに"真の人間性"に触れることができる。さらに不思議なことに、立派な道を歩んで来た人ほど、そんな過去を聞かずとも「素晴らしい人だ」と分かってしまうわけで。
つまり、人間としてのバランスが整っていることが、競技でもキャリアでもトップへ上りつめるための秘訣なのかもしれない。それはわざとそうしているわけではなく、自然と、あるいは本質的にそうなるわけで、これもすなわち「才能」や「素質」の一部なのだろう。
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それにしても今日は、やけに"日本のトップ選手"が一カ所に集まっていた。女子柔道のオリンピックメダリストにオリンピアン、その他の選手も全員国内トップ。おまけにブラジリアン柔術の全日本覇者×2名、クレー射撃の全日本覇者など、もしかするとわたしが知らないだけで、他にも日本を代表する何らかの選手が潜んでいたのかもしれない。
だが全員、気持ちのいい奴らで愉快な仲間でもある。だからこそ、トップレベルのパフォーマンスが披露できるのだろう。
(・・しまった。サインもらっとけばよかった)
というわけで、競技や立場は違えど皆さんのこれからを全力で応援する所存である。
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