戦国時代の武士の足の小指事情

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(戦国時代の武士たちは、なにを履いて戦っていたんだ・・・)

令和の今、わたしは武士の気持ちを慮(おもんぱか)った。さすがに、石を投げたり棒で突いたりして戦っていた頃は、裸足でも仕方がないだろう。だが、馬に乗って刀を振り回す頃には、それなりの靴を履いているべきである。

 

乗馬ではブーツを通じて馬に指示を出したり、競走馬ならばあぶみから馬の動きを感じ取ったりと、馬とのコミュニケーションはあぶみと手綱を通じて行うもの。

だからといって、さすがに当時の武士たちも裸足ではないだろうから、草鞋(わらじ)や足袋(たび)を履いて馬に乗っていたのだろう。

 

しかし、草鞋や足袋のようなフニャフニャな履き物では、色々と問題があるはず。馬に乗っていなくても、道を歩いている途中で足の甲に槍が刺さったり、ふくらはぎに猛獣が噛みついたりと、せめて自衛隊員の半長靴くらい履いていなければ、危なくて戦闘どころの話ではない。

おまけに地面に釘や尖った石が落ちていれば、それらを踏むことで足の裏を傷つけかねないわけで、靴底くらいは頑丈な素材でできていなければおかしいだろう。

 

(・・・下駄?)

木材でできている下駄ならば、高さもあるので釘も刺さらない。そもそも下駄はその昔、田植え時に水田で足が沈まないための農具として使われていた。また、山道を登るのにも便利ということで、一本歯の下駄が登場するなど、わりと実用的な機能を兼ね備えているのである。

しかし、下駄の欠点は足の甲が丸見えという点だ。足袋を履いていたとしても、甲をガードするカバーはついていないので、それこそサソリにぶっ刺されたり毒蛇に思いっきり噛まれたりしたら、こちらも草履同様まったく安全ではない。

そもそも下駄では、あぶみのコントロールが難しい上に馬にも乗りにくい。つまり、武蔵坊弁慶クラスは別として、一般的には下駄で戦うメリットはないといえる。

 

だとしたら、武士たちは何を履いて戦っていたのだろうか。戦国時代に、鎧甲冑の見事な装備を身にまといながらも、足元が足袋や草履ではバランスが悪い。足の上に岩石や大木が落ちてきたらどうするのだ。

とはいえ、欧米の靴が日本に入って来たのは江戸時代末期とされている。まさか木製の靴で戦っていたとも思えないし、足の甲は装備品でどうにかなっても、靴底はどうしていたのだろうか。もっというと、足の甲と裏との間の側面は、どうやって保護していたのだろうか――。

 

わたしがなぜこのようなことを考えているのかというと、今から10秒前、素足でビーチサンダルのわたしの足を、カツカツに尖った硬い革靴を履いたサラリーマンに踏まれたのだ。

正確にいうと、左足の小指を革靴のエッジで切るように踏まれたのだ。

(っ!!!!!!)

柔らかな皮膚に激痛が走る。なんとなく「足を踏んだかな?」という感触を覚えたサラリーマンは、わたしに向かって軽く会釈をすると、しれっと隣りへ座った。

ここは地下鉄車内のため、大袈裟に痛がることもできない。かといって、鋭利な刃物で切られたわけではないので、血が出ているわけでもなければ擦り剝けているわけでもない。なにより、革靴のサラリーマンにとっては、素足の小指を軽く踏んだ程度のことであり、まさかここまでの痛さを与えたとは思ってもいないだろう。

 

もしもこれが、自宅で椅子や机の角に小指をぶつけたのであれば、ぶつけた小指を逆側の足で踏んづけて、痛みがおさまるのを待つだろう。だが今は車内であり、さすがにそれはできない。

とはいえ鋭い痛みがジンジンと響く。い、痛い。泣きそうである――。

 

両手の拳を強く握り、鼻の穴を膨らませながら、天を仰ぎ痛みを堪えるわたし。そして思いは戦国時代までさかのぼったのだ。

あぁ、当時の武士たちはこういった事態に直面した時、いったいどうやって痛みを忘れていたのだろうか。やせ我慢で乗り切ったのだろうか。それとも、その辺でのたうち回っていたのだろうか。

 

(いや、もうどうでもいい。今はわたしの小指が痛いのだ。とにかくめちゃくちゃ痛いのだ!!!)

 

限界を迎えたわたしは、右足のビーチサンダルを履いたまま、左足の小指をぎゅっと踏みつけた。ビーサンを脱ぐ余裕はなかった。とにかく強く、深く、しっかりと踏むことで、この痛みを和らげることだけに集中するのだ――。

その様子にギョッとしたサラリーマンは、少しわたしとの距離を離すと、スマホに目を落とした。

 

クソッ、まだ痛いっ。だが、とにかく戦国時代に生まれなくてよかった・・・。

 

Illustrated by 希鳳

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