失踪者や拉致被害者らの顔写真が掲載された巨大なポスターが、警察署内に貼られていた。片っ端から顔と名前をチェックしてみたが、当然のことながら誰一人知り合いはいない。
そもそも、知り合いなどいないに決まっている。普通に考えてそうなるのは当たり前だが、それとは別の意味で「いない」に決まっている。なぜなら、使われている写真がかなり古い物ばかりだからだ。
どこかで聞いたことのある話だが、モンタージュや顔写真を公開するときは、わざと大雑把な描写や画像を使うらしい。理由は、あまりにハッキリくっきり描きすぎると、印象が固定されるため逆に見つかりにくいのだとか。
また、裁判所の傍聴での本人デッサンは、有名な公判であれば抽選となったり、10分ごとに傍聴席を入れ替えたりするため、じっくりと観察することができない。そのため、ササっと筆を走らせた法廷画が多いのだ。
いやいや、今回はそんなところではない。繰り返しになるが、失踪者たちの写真がどれも古いのだ。画像がすべてモノクロなのは、余計な先入観を持たせないためだろう。だが、どう考えても今は中年を過ぎているであろう年齢の人物が、ポスターでは子どもの頃の写真が使われているのだ。
さすがに、子どもが40歳になったときの顔は想像がつかないだろう。自分自身の幼少期の写真を見れば、「目元に面影があるかも」というくらいは絞り出せるが、あれがこうなるとはとてもじゃないがイメージできない。
果たしてこの子は、今どんな顔でどんな大人になっているのだろう――。
「・・うぞぉ。お待たせしましたぁ、どうぞぉー!」
ハッと振り向くと、女性警察官がわたしに向かって声を掛けている。そこは警察署の会計課だったため、失踪者のポスターをまじまじと眺めているわたしは、会計待ちをしている人間と間違われたのだ。
慌ててその場を離れると、警察署を後にした。
それにしても、あの失踪者や拉致被害者といい、「おい、小池!」などの犯罪者といい、いたるところに貼られているのに、本人が見つからないのはなぜだろう。もはや国内にいないのだろうか。それとも、顔や性別を変えていて、まったくの別人になっているのだろうか――。
そんなことを考えなが歩いていると、突如、狭い歩道に人間の列が現れた。見ると、それはパン屋の行列だった。
平日の午前中にこんなところで列を作るとは、よっぽどの暇人に違いない。その証拠にわりと年配の女性が多い。近所の住人と思われる彼女たちだが、誰もがきちんとメイクを施しており、身ぎれいな格好で順番を待っていた。
パンマニアとしては、この列に並ばない理由がない。おとなしく最後尾に回ると、一つ前のご婦人に尋ねてみた。
「このパン屋は有名なんですか?」
すると彼女は臆することなく、
「ええ、そうなのよ。テレビで紹介されたりすると、すぐに長蛇の列よ」
と、困ったような誇らしいような表情で教えてくれた。すると、その一つ前で並んでいた女性が振り向いて、「そうそう」と頷いた。さらにわたしの後ろに並んだマダムも、「またテレビかしらね」と話に便乗してきた。
どうやらここにいる女性たちは全員、この店の常連らしい。なぜなら、時間つぶしの世間話が見事に噛みあっているからだ。
そしてわたしを「よそ者のシロート」と見るや否や、このパン屋のオススメの逸品を次々と教えてくれた。面白いことに全員が全員、異なるパンを挙げるのだ。味の好みは人それぞれだから、違うパンを選ぶのは当然だし魅力的である。
だがその結果、引くに引けなくなったわたしは、最終的に店内のパンをほぼ全種類制覇する勢いで、大量のパンを買わされた。
さらにレジ直前で店員から、
「ただいまバゲットが焼き上がりましたぁ」
と声をかけられたため、よくわからないが、我先に飛びついてしまったのである。
こうして両手に大袋を下げてパン屋を出たわたしは、改めて店を振り返った。もうすでに新たな長蛇の列ができており、よくもまぁこんな不便な場所にあるにもかかわらず、客が途切れないものだと感心してしまう。
犯罪者や失踪者は、ポスターを貼ってもなかなか見つからないが、ひっそりと佇むパン屋はポスターも貼ってないのにすぐ見つかるという、なんとも皮肉な現実である。
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