わたしは友人に恵まれている。
己の才能や資質は皆無に等しいのだが、とにかく周りにいる友人のおかげで「デキる人」を装うことができる。
このようにして数奇な人生を歩んできたわけで、わたしという人間は、多くの友人らによって形成されていると言っても過言ではない。
さて、友人代表格といえば松野である。正式には「木公里予」と書いて「まつの」と読むが、この辺りは端折ることにする。
そんな松野から久しぶりにメッセージが届いた。
「大事なタブレットが壊れて、ゲームにログイン3日くらいできなくて、萎えてやる気がなくなったから、今ならゲームの時間が余ってる。数字にすると一日あたり11時間くらい」
たしか一日は24時間のはず。そして仮に8時間睡眠をとったとして、残りは16時間。食事や風呂で2~3時間くらい使うだろうから、正味13時間程度が仕事なり遊びなりの時間となる。
そして松野は、毎日11時間をゲームに費やしているわけで、これを仕事に置き換えると、とんでもないブラック企業で働いていることになる。
「なので、なんでもいいから仕事ください。ブログのタイトルとか、誰かのディスりとか、誰かの替え歌とか。なんでもいいので発注してください」
この場合の「仕事」というのは、完全にネタである。
これまでのブログのタイトルで、明らかにおかしな雰囲気のものは、どれも間違いなく「松野作」だからだ。
とはいえ、友人を自慢するのもアレだが、松野は天才である。
わたしが怒髪天を衝く勢いで発狂しようが、冷静に受け取った松野は、毎回、一言だけ感想をくれる。
そしてその一言で、毎回、確実にわたしを笑わせるのだ。
相手の怒りに同調したり、宥(なだ)めたりすることは誰にでもできる。
だがたった一言で、発狂する相手を笑わせることなど、そうそうできる芸当ではない。
ゆえに松野は天才なのだ。
さらに松野からメッセージが続く。
「とりあえず、なにかお題ちょうだい。ブログのタイトルとか、URABEのリングネームとか、なんでもいいから」
そんなことを言われても、ブログはいま正に書いている最中で、タイトルはもう少し先になる。
ならば手っ取り早く、わたしのリングネームでも付けてもらおうか…。
「チカラモチ」
(・・・・・)
「力持ちだし、モチが好きだし、響きがキャッチーだし。なによりカッコいい」
数秒後に返信があったことからも、本当にゲームができなくて時間を持て余していることがうかがえる。
*
その数時間後、突然「アナ雪」の歌詞とともに替え歌が送られてきた。
かなりの皮肉と挑発でまとめられているため、ここで披露するのは避けるが、とにかく見事な完成度である。
(本当にヒマなんだな・・・)
そして付け加えるかのように、
「まぁ、風呂で着想を得てちょっと考えつつ、歌詞をコピーしてからは4分で書き上げたけどね」
と、完成までの経緯を説明してくれた。続けて、
「残しのテクと、替えたところも音(語呂、発音)を近い感じにしてるから、歌っても気持ちよく歌えるはず」
と、余計な気遣いまでみせた。
松野はニートに近い生活を送っている。だがそれは、彼が上級国民のため働く必要がないからだ。
とはいえ、このような有り余る才能を持て余すのはもったいない。どこかで価値をつけられないだろうか・・・。
難点として、我々が面白いと思うことは、一般的には受け入れ難いケースが多いことだ。
その結果、内輪ネタのような笑いで終わってしまうこともあり、そこが不安要素ではある。
だが、松野を知らない友人に「替え歌」を見せたところ、
「面白い」
「さすが」
「秀逸」
などなど、称賛の嵐だった。つまり、理解できる人には受け入れられる、ニッチな面白さといえるわけだ。
ところが、このような無形文化財的な笑いの価値は、シチュエーションやタイミングに左右されるため、万人受けはまずありえない。
そうなると、商業的な価値を見出すことはほぼ不可能となる。
(結局のところ、金持ちの道楽としてニッチな笑いが存在し、金銭が絡まないからこそ純粋に面白いと感じるのか――)
こうして松野の「才能の無駄遣い」は、今宵も延々と続くのであった。
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