痛みに強いわたしは、金曜日に突如現れた謎の激痛を受け入れ、地獄の週末を過ごした。どのあたりが地獄かというと、耐えがたい疼痛と腕から指先まで続く痺れにより、1分たりとも座ることができない拷問を強制される点だ。
おまけに、椅子に座れない=仕事どころかピアノの練習もままならない・・とくれば、まさに時間の無駄であり地獄といえる。ちょっとした打開策として「立ってパソコンを使う」「尻を浮かせて座りながら弾く」という体勢を編み出したが、当然ながらすぐに痛みが現れるので気休め程度。
しかも、この地獄は外出時にも及んだ。たとえば、移動途中で電車やバスに乗った際、誤ってシートに座ってしまった時などが地獄だった。
着席後、すぐさま激痛に見舞われたわたしは、もちろん「耐えよう」と踏ん張ったのだが、あまりの痛みに顔が歪み呼吸が荒くなってしまった。それを見た周囲の乗客が「大丈夫ですか?」と声をかけたことで、超健康体であるにもかかわらず、体調不良でどうにかなりそうな病人だと思われてしまったのだ。
(激痛のため気が狂いそうではあったが、ただ単に「大丈夫です」と答えたところで説得力に欠けるため、仕方なく「首から背中にかけて激痛が走るせいで、こんな感じになってしまうんですよね・・」と、必死に笑顔を作って説明し、乗客の同情を買うことで収束。)
そんなわけで、今こうしてタイピングするのも苦しい状況のわたしは、ついに医療機関の受診を決めたのである。
しかしながら、ロキソニンという薬が全く効かないことには驚いた。日頃から痛み止めに頼らない傾向ではあるが、生理痛と片頭痛の際には稀に服用することがあり、気が付くとあの鈍痛が和らいでいることに安堵と感謝を覚えていた。
そんなロキソニンが、まるで”甘くないラムネ菓子”であるかのように、微塵も影響力を発揮しないのだから困った。要するに、この耐えがたい痛みは頭痛や生理痛、筋肉痛など炎症が絡む痛みではない・・ということなのだろう。
ロキソニン(ロキソプロフェン)は非ステロイド性抗炎症薬に分類され、プロスタグランジンという痛みや炎症を増幅させる物質の産生を抑えることで効果を発揮する。
そのため、そもそも炎症が起きていない場合や神経由来の痛みの場合、効果が期待できないのである。
炎症由来ではないと分かれば、残すところはアレしかない——そう、トラマールだ。
トラマール(トラマドール)は、非麻薬性のオピオイド鎮痛薬。オピオイド受容体に作用することで脳や脊髄における痛みの感じ方を弱め、神経由来の強い痛みに効果を発揮する。
そのため、癌や帯状疱疹、ヘルニアなどの神経痛の緩和や、ロキソプロフェンなどNSAIDsが効かなかった場合、または慢性的な傷みに大して処方されることが多い。
素人の勝手な判断で残薬と服用するのは良くないが、今はそれどころじゃない。本気(マジ)で痛みに発狂しそうなわけで、わたしがニンゲンを維持するためには、もはやトラマールを飲む以外に方法はないのだから——。
こうして、トラマールを服用後一時間半が経過した。確かに、先ほどよりも冷静さを保てている自分がいる。
だが、立ちっぱなしが疲れたからと腰を下ろすと、やはりあの疼痛に襲われるため、結局のところ仕事をするならば立った状態でなければならない。
(ならばピアノはどうなんだ・・)
中腰の姿勢でしばらくやってみたが、まぁできなくはない——と思っていたところ、今度は首の根元あたりに不穏な痛みと違和感を覚えたため、この姿勢での練習は却下された。
*
なにはともあれ、原因の究明および痛み止めを手に入れるべく、病院へ向かうことを決めたわたし。
たかが首や背中の痛みとはいえ、痛みの種類というかレベルが違うと「我慢する」なんてことは不可能。だからこそ、病気や怪我でこんな苦痛を強いられる患者のことを思うと、他人事ながら不憫でならない。
痛みという主観的な感覚は他人が共感できるものではないが、この痛みを知ったわたしは、他人に対しても同様の気遣いができる優しいヒトになれたのではないか——否。誰もががこの痛みを味わえばいい!そして苦痛に悶え苦しめばいい!!
などと思っているうちは、まだ地獄を味わっているべきなのかもしれない。




















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