柔術を知らない黒帯

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負けるつもりで試合に挑むバカはいないが、それでも負けたほうが学びは多いのは間違いない。明らかな実力差で負けようが誤審で負けようが、負けは負け。そして、優勝以外は必ず負けを経験するので、初戦で負けようが決勝で負けようが、最後まで勝ち残らなければ「負け」である。

だが、そんな勝負の舞台に立てるだけの実力もないのに、恥ずかしげもなくノコノコとやってきた自分に対して、「やっぱりね」と納得してしまったわたしは、言葉にならない後悔と絶望に苛まれた。

黒帯を与えてもらってもなお、柔術というものがまったく身についていない現実から目を反らし続けたことに、後悔と絶望を覚えたのである。

 

柔術という競技は、よほどの天才でない限り”知識と経験イコール実力”といえる特殊性がある。とにかく、知っているか否かが勝敗を分けるため、技でもシチュエーションでも何でも、柔術に関する出来事を知っているほうが勝つ・・というか、優位に進められるのだ。

なぜなら、仮に相手がとんでもない動きで飛びかかってきても、対処の方法さえ知っていれば難なくいなせるわけで、知らない技や動きによって自分がフリーズしない限り、いつまでも攻防を繰り返すことができる。

例えるならば、ジャンケンで「グー」しか知らない者と、「グーとパー」を知ってる者とでは、前者がどれほど金持ちでマッチョなイケメンだったとしても、貧乏で肥満体のブサイクな後者が負けることは、万が一にもあり得ないのだから。

 

加えて、技をかけることのみならず解除や防御も知っておかなければならない。そうすることで「こうされたら、こうやって戻せばいい」という逃げ道が確保できるからだ。

どんな戦いでもそうだが、まずは己の命を守ることが最優先。闇雲に攻めるだけでは、いざという時に殺されてしまうわけで——。

 

そして、これら無数のアイテムを整理して、それぞれの引き出しにしまわなければならない。当たり前のことだが、せっかく手に入れた技術や経験をただ山積みにしておくだけでは、必要なタイミングで取り出すことができないからだ。

そんな「整理整頓された引き出し」をいくつ持っているかで、柔術の上手さは決まる。少なくとも、引き出しが3つしかない者が、引き出し100個の猛者をやっつけるのは無理だろう。無論、超人的なフィジカルで勝ってしまう可能性はあるが、それが継続するとは到底思えない。

よって、いかに知識と経験があるか、そしていかに素早く対処できるか——これらの要素を、柔術が上手い人は間違いなく持っている。ところが、わたしはそれらの要素がすっぽりと抜け落ちていたのだ。

 

試合に勝つ人の動きは、いつでも流動的で何かを狙っている。逆に「どうしたらいいのか分からない!」というパニック状態の者は、その姿が無様であるだけでなく、結果として負けている——それがわたしだ。

黒帯にもなって、未だに「どうしたらいいのか分からない」などとのたまうなど、恥以外の何物でもない。自分のみならず、指導者にも仲間にも申し訳なくて合わせる顔がない・・というのが本音。

ただ一つ、確実に言えるのは「わたしはバカである」ということだ。物事の本質から目を反らし、うわべだけの動きに目を向けていた、浅はかで薄っぺらいバカなのだ。

 

そんな残念なわたしだが、今日初めてできるようになったことがある。それは、体育座りをしたまま手を使わずに立ち上がる・・ということだ。

こんなことすらできない者が黒帯だなんて、笑われて当然。だが、それでもようやく(といっても、特に練習したわけではないが)できるようになったわけで、いよいよここからが柔術のスタートなのかもしれない。

 

ワールドマスターの試合前、ウォームアップエリアでわたしの柔術が始まったのだとすれば、これまでの8年間は「尻もちをついた状態で、手を使わずに立ち上がる」ができるようになるための、長い長い準備期間だったことになる。

これからまた長い年月をかけて、いつか中身の伴った黒帯になれるよう、ゆっくりと立ち上がれれば・・とポジティブに構える反面、今はまだ失望の沼から抜け出るのは難しい・・とも感じているわけで、しばらくは混沌とした靄の中をさまよい続けるのだろう。

 

いつか、柔術ができるようになりたい——。

 

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