珈琲屋と煙草の煙

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自宅の隣りにレトロな珈琲屋がある。

カフェとは呼ばない、いや、呼びたくないのだ。

珈琲屋と呼ぶほうがしっくりくるし、それを裏切らないクオリティ。

 

徒歩10秒という至近距離にある珈琲屋、ここのマスターとは顔見知り。

私は牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡にフリースを羽織り、まるで受験生の風貌で店を訪れた。

 

一瞬ギョッとしたマスターだが、すぐに気を取り直して笑顔で挨拶を交わす。

 

ーーそういえば昨日、このビン底眼鏡のせいで恥をかいたんだ

 

スタバでくつろいでいたところ、私の横を友人が通りすぎた。

 

(さっきまでウェブミーテイングしてたのに、もうこんなところまで来たんだ?)

 

驚きながらも彼に向かって手を振る。

キャリーバッグを転がしながら、意外な表情を見せる友人。

 

私はコーヒーを手に席を立ち、友人の向かい側に腰を下ろした。

そして話しをしようと顔を上げた瞬間、

 

(・・・誰?)

 

なんと全然知らない人だった。

髪型、メガネ、マスク、スーツ、キャリーバッグという要素は友人そっくりだが、まったくの別人ではないか。

 

私よりむしろ、驚きのあまり硬直しているのはその男性だ。

見ず知らずのジャージサンダル金髪ビン底眼鏡の女に絡まれて、恐怖を感じないはずがない。

 

ひたすら私を凝視する男性に、

 

「すみません、間違えました」

 

と一言だけ謝罪し、そそくさとスタバを後にした。

 

普段コンタクトの私は、滅多に眼鏡で外出はしない。

しかし近所だからと舐めていた。

私が必死にぶら下がる港区の一等地は、日中はビジネスパーソンで溢れかえっているのを忘れていた。

 

眼鏡のときは迂闊に声などかけるものではない。

 

 

話は珈琲屋に戻る。

ここは間違いなく自宅の隣りの珈琲屋でマスターとも顔見知り、よって失態を晒すこともないだろう。

しかし念のため慎重に、マスターの顔をまじまじとのぞき込む。

 

(うん、マスターだ)

 

後ずさりするマスターを横目に入り口近くの席を陣取る。

そしていつもどおり珈琲を注文する。

 

珈琲は好きだが特に詳しくはない私は、この店の良さをちっともわかっていないだろう。

たとえば、窓際に置かれたでっかいフラスコのオブジェがサイフォンというコーヒー器具だということも知らず。

 

ただ美味しい珈琲が飲めるということにしか興味はない。

 

しばらくすると、一人の女性が入ってきた。

服装からして近所の人だろう。

 

彼女は奥のカウンターに座りマスターと談笑を始めると、おもむろに煙草に火をつけた。

 

嫌煙家の私はナーバスになった。

 

だが不思議なことに、火災報知器のようにわずかな煙でもキャッチしてやろうと神経をとがらせる私の思惑は外れ、穏やかな時が流れる。

 

副流煙など健康にも衣服にも有害でしかない。

むしろ衣服に煙の臭いがつくことを毛嫌いする私は、分煙の店舗ですら警戒心からくつろぐことができない。

それがなぜか、今日は煙に対する憎悪を感じない。

 

黄昏色の店内に流れるBGMを聴きながら考える。

この店に漂うのは、強い珈琲の香りとビートの効いたジャズフュージョン。

そこに、ほんの少しの煙草の煙。

 

なぜだろうーー

 

 

女性客が帰った後、マスターに尋ねてみた。

 

「わたし煙草の煙が嫌いだけど、さっきはそう感じなかったんだよね」

 

「うーん、そもそも珈琲と煙草は似てるからかな」

 

マスターの話でなるほどと思ったのは、どちらもスモーキーであるということ

煙草から煙がでるのは当たり前だが、珈琲は生豆から焙煎(ロースト)して珈琲豆をつくる。

焙煎深度によって酸味の強いライトローストになったり、苦みの強いイタリアンローストになる、というように風味が変わる。

 

そして昔の珈琲はどちらかというと深煎りで、スモーキーな味が好まれたのだそう。

現在は真逆の、爽やかでフルーティーな浅煎りがトレンド。

 

昔ながらに珈琲と煙草をセットで楽しむ人は、両方のスモークに巻かれながらお互いの味を堪能するのかもしれない。

忘れてはならないのは、珈琲の香りが煙草の煙に勝っているからこそ、ちょうど良いスモーキーさが保たれているということだ。

 

 

狭い店内、ドアは開けっ放しで換気は抜群。

よって煙草の煙もすぐに消えてなくなる。

 

程なく珈琲の香りとジャズフュージョンに包まれるーー

 

 

洗いものをするマスターとぼんやり考える私。

ゆっくりと珈琲の魅力に浸ろう。

 

 

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