「ワニの舌を食べてみよう」と、最初に思い立った強者は誰だ?

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昨日、わたしは不思議な食感の肉を食べた。見た目は白いかまぼこ・・あるいは分厚いイカを焼いたかのような、いや、色白の鳥胸肉を炙ったようにも見えるその食べ物は、なんとワニの舌だった。

(わ、ワニの舌・・・)

その名称を聞いて一瞬怯んだわたしだが、「ぼんじりみたいな食感だよ」という友人の発言にヨダレがじわっと湧いてきたため、とりあえずその白い塊をパクっと口へと放り込んだ。

(・・・たしかに、ぼんじりの食感だ)

シャキシャキというかサクサクというか、肉なのに植物のような歯ごたえのあるワニの舌は、なんとも不思議な食べ物である。それが何なのかを知らずに食べたとしたら、豚トロかぼんじりだと思っただろう。個人的には、メキシコで食べたサボテンを思い出す噛み応えだったが、いずれにせよなんとも不思議な気分になった。

 

それにしても、"ワニの舌を食べよう"だなんて、よくぞ思いついたものだ。とはいえ、ワニ肉の料理というのは聞いたことがあるし、オーストラリアではワニのみならず、カンガルーやエミューまで調理してしまうわけで、それらの動物が多く生息している地域ならではの珍料理なのだろう。

こういう話を聞くと、いつも思うことがある。まぁ、動物の肉を煮たり焼いたりすれば、およそ食べられるだろう・・と考えるのは人間ならば普通のことだろうが、たとえば野草やキノコをなぜ食べようと思ったのか・・いや、むしろキノコをなぜ食べようと思ったのか不思議である。

 

野草ならば牛や馬といった草食動物が食べているし、人間も昔から野菜を食べて生きてきたのだから、食べたら死ぬ・・というような存在ではないことは見当がつく。だが、キノコはどうだろうか。とくに毒キノコと呼ばれる種類のものは、見るからに毒っぽいし決して「美味そう」とは思えない。

それでもかつて誰かが食べたのだろう。そして、何人もの死や体調不良を乗り越えて、毒キノコと食べられるキノコとに選別されたのだ。——そこまでして、なぜ見るからに毒々しいキノコを口にしたのだろうか。

 

人間には、防衛本能というか毒を毒と認識する能力(感覚)が備わっており、たとえば匂いや味がそれに当たる。無論、視覚的に判断できる場合もあるのだが、見た目だと裏切られることもあるため一概には断言できない。

もはや慣れているのでなんとも思わないが、カビの生えたチーズや糸を引く納豆、敵意あるビジュアルのゴーヤやドリアンなど、「よくぞ食べようと思ったものだ!」と、かつての偉人を尊敬してしまう見た目をしている。・・しかし列挙して気づいたことだが、これらの食べ物はどれも味にクセがある。よって、一歩間違えれば毒の可能性があったのかもしれない——。

 

毒キノコに話を戻すと、それでも人間は・・いや、日本人はキノコにこだわったのだ。これは毒、あれは大丈夫——毒キノコで命を落とした者も多くいるはずだが、それでもなぜかキノコへの想いは冷めなかったのだ。

実際のところは、野生動物がキノコを食べている姿を見て「あれは食べられるものなんだ」と認識したのではないかと想像するが、たとえばリスはベニテングダケのような毒キノコを食べても平気なのだそう。他にも、人間が食べたら死ぬであろうドクツルタケやタマゴテングタケを食べる虫もいるわけで、人間には備わっていない解毒能力を持っているのだ。

(・・だがもしも、かわいらしいリスがベニテングダケを頬張る姿を見て「あれは食べられるキノコなんだ!」と喜び勇んで食べた結果、天に召された勇敢な冒険者がいたとしたら、お悔やみを申し上げよう)

 

というわけで、命をかけてまで珍しい食材を欲する探求心はわたしにはないが、かつての偉人らはそんな壁を乗り越えて、食べられる食材を後世に伝えてくれたのだ。

ちなみに"ワニの舌"のお味は、淡泊でさっぱりとしており、食感の珍しさが印象に残りがちだが十分イケる肉料理である。そもそも牛タン・・つまり牛の舌を食べてみよう!と思い立った人物も称賛に値するが、見た目はグロテスクなワニ、しかもそのワニの舌を食べてみよう・・と思うのも凄いこと。

 

とにもかくにも、人間というのは食欲に飽くなき情熱を抱く生き物であり、生きるために食べるのではなく、"いかに美味いものを食べるか"に命を賭せる、珍しい動物なのである。

 

ワニの舌を食べさせてくれたのは、ピッツェリア ロベルティーノでした!

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