読売新聞オンラインで「スリ捜査40年、磨いた管理機で逮捕600人・・・『最後の鉄道公安官』引退」という記事を読んだ。
1987年4月の国鉄の分割・民営化に伴い、警視庁に転じた鉄道公安官出身の最後の捜査員が今春、退職を迎える。電車内や雑踏でスリに目を光らせて40年。元国鉄マンの誇りを胸に、靴底を減らして技術を磨き続けてきた。
鉄道公安官とは、列車や駅構内における犯罪捜査にあたるための鉄道公安職員の通称で、国鉄発足当初から任務を行っていた。そして国鉄民営化に伴い、主な業務は都道府県警の鉄道警察隊へと引き継がれたのだそう。
記事を読んでいると、
「・・・若者らがスマートフォンに目を落として歩く姿に『危ないね。スリは見ている』とつぶやいた」
という文言が現れた。
たしかに、下りのエスカレーターで女性が脇に抱えたトートバッグの口から、ペットボトルや財布、化粧ポーチなどを確認したことがある。しかも耳にはイヤフォン、右手にはスマホということで、背後への意識というか警戒心は皆無。
要するに、今わたしが手を伸ばせば財布くらい簡単に取り出せる・・ということだ。さすがに、ペットボトルは重量が変わりすぎるので気づかれる恐れがあるが、小ぶりな財布くらいならば、背後から追い抜く勢いで軽くぶつかりつつ、サッと抜けば気づかれないだろう。
逆に、あれだけでっかい口が開いているならば、背後からゴミや虫を放り込まれる恐れもある。良くも悪くも"警戒心の塊"であるわたしは、そんな想像(妄想)をするあまり、トートバッグなど恐ろしくて使えないのだが。
トートバッグに限らず、サラリーマンが背負っているリュックも、チャックが開いて中身が見えていることがよくある。外側の小さなポケットには、財布や充電器が入っている率が高く、ガバッと開いたジッパーを引き上げてやりたい衝動に駆られたりも。
あまりに無防備に中身が見えすぎているときは、さすがに声をかけてあげるが、それでも盗む目的で背後についていたならば、まさに「ごちそうさま」である。
そういうときに限って、本人の耳にはイヤフォン、手にはスマホというスタイルなわけで、注意力散漫の極みなのだ。
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話が逸れたが、記事では「大物スリがターゲットの男性へぶつかった瞬間に、左手に持った新聞で死角を作り、右手で男性の胸ポケットから紙幣を抜いたところを取り押さえた」という、見事な逮捕劇が紹介されていた。
シチュエーションとしては、場外馬券場で馬券を買った男性・・ということで、たしかにその当時(1995年)はキャッシュレス化は進んでおらず、現金を胸ポケットに突っ込んで馬券を買うのが主流だったわけだ。
だが今のわたしにとっては「???」でしかなかった。なぜなら、わたしの衣服のポケットには何も入っていないからだ。
そもそもスリは、金目のものというより"カネ"をダイレクトに盗む。となると、財布か紙幣を直接狙うことになるわけが、そもそもキャッシュを持ち歩かないわたしにとって、スリへの恐怖は存在しない。
無論、スマホを盗まれればそれこそ一大事だが、"スマホをかっぱらわれる可能性を常に意識しているわたしのスマホ"を盗むことのほうが、はるかに難しい行為となる。さらに、いつ盗まれてもいいように常にダッシュできる準備を整えているわけで、そんなわたしからスマホを奪おうものなら、逆に大怪我を負いかねない。
そのくらい、四六時中「盗まれた時」と「襲われた時」の対処についてシミュレーションを繰り返しているわたしだが、一度たりともそういった犯罪に遭遇したことがないから、ある意味不思議であり残念でもあるのだ。
時折、ジーパンの尻ポケットからパンパンに膨らんだ折りたたみ財布が顔を覗かせている男性を見かけるが、よくもまぁ「僕の全財産がここにあります!」などとアピールできるもんだ・・と感心してしまう。
ウォレットチェーンで繋いであれば別だが、盗もうと思ったらあっさり実現できる危険な状況にもかかわらず、多くの男性がそういうスタイルで闊歩できるのだから、ここはつくづく平和な国だと実感する。
そもそも、財布というか現金を持ち歩かなければ、注意すべきはスマホ一択となり、そのスマホを見ながら歩いているうちは、常にカネから目を離さない状態なのだから、歩きスマホは危険だが財産を守るためには安全ともいえる。
——そうなると令和のスリは、何を盗むようになるのだろうか。
辞書によると「他人が身につけている金品を、その人に気づかれないように、すばやく盗み取ること」とあり、金品を身につけない時代が到来したら、スリという職業も自然消滅するわけだ。
とはいえ、物理的なスリが消滅してもスキミングやネット経由のスリなど、姿かたちを変えてスリは存在し続けるのだろう。
なぜなら犯罪とは、いつの時代も"追いかけっこ"なのだから。
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