名言「焼き過ぎたら、ただの肉」

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北海道で最も衝撃を受けたのは、偶然にも重なった、いくつものイベントに参加する来道者の多さではない。もちろん、北海道だから涼しい前提でやって来たにもかかわらず、35度の猛暑に見舞われたことでもない。

ではいったい何に衝撃を受けたのかというと、それは千歳市にあるジンギスカン店、「生ラム モンゴル 街小屋」の従業員(店長かもしれない)に叩きつけられたこのセリフである。

 

「焼き過ぎたらただの肉になってしまいますから、気を付けてください」

 

——焼き過ぎたら、ただの肉。このような名言は初めて聞いた。そう、この肉は生でも食べられる新鮮なラム肉ゆえに、焦げ目がつくほどしっかり焼いてしまったら、わざわざ注文した意味がないのだ。

わたしは彼の名言に従い、次々と極上ラム肉を平らげていった。

 

すると突然、

「せっかくだから、極上ラムだけじゃなくて上ラムも食べてみようよ」

と、極上ラムのほとんどをわたしに食べ尽くされた友人が提案する。

 

ちなみに、最初に食べた極上ラムは「数量限定」となっていたため、限定好きの日本人としては、何が何でも食べておかなければならなかった。

そして当然ながら美味かったわけで、どうせならもう一度「極上ラム」でもいいのではないかと、わたしは思っていたのである。

 

そう思う根拠というのが、じつは「うな重」にあった。かつて老舗のうなぎ屋を訪れた際に、特上と上と並とでなにが違うのかを尋ねたことがある。

それこそ、「特上」が天然うなぎで「上」は養殖うなぎ、「並」に至ってはうなぎっぽい生物なのではなかろうかと、とんでもない想像をしていたのである。

だが答えは至極単純明快、「うなぎとご飯の量の違い」ということだった。「並」はうなぎも白米も少なくて、「特上」になるとうなぎも白米も二層になるのだそう。

このようなことからも、あの時からわたしは上中下や松竹梅といったランク付けを、まったく信用しなくなったのだ。

 

そこでわたしは、この店で扱う「極上・上・並の生ラムのグレード」について、店側の意見を聞くことにした。というか、従業員(店長かもしれない)である彼のおすすめを尋ねてみたところ、

「うーん。常連さんだとみんな並ですね。僕も並を食べます」

という答えが返ってきた。これはつまり、遠方からやって来た無知で金持ちの観光客らは、こぞって「(数量限定の)極上を注文する」という事実を暗に示しているのだろう。

所詮、なにがどうして極上なのかも知らず、ただただ「数量限定」と「極上」という響きに釣られて、「やはり極上は美味い!」などと知ったかぶるだけなのだ。

 

そこでわたしは、店長かもしれない彼にこう告げた。

「並を二人前、お願いします」

値段が高ければ美味いに違いない・・という盲信というか思い込みは、人間を不幸にさせる。己の感覚をもって判断すべきことなのに、口にする前から「金額の多寡」で五感を支配するなど、なんと哀れで貧しい行為であろうか。

 

そんな思い込みから、いや、不幸から脱却するべく、わたしは「本物を知る地元の常連」と足並みを揃えることにした。

さらに「並」の美味さを語れるようになってこそ、わたしも一人前の「生ラムニスト」を名乗れるというもんだ。

 

「極上は炙る程度がいいのですが、並はしっかりと火を通したほうが噛みやすいので、よく焼いてくださいね」

なんと、今度は「焼き過ぎたら、ただの肉」という名言は出なかった。その逆で、「しっかり焼いたほうがいい」とのアドバイスをもらった。

 

「並」は牛や豚の小間切れのように、何種類かの部位が混ざっているらしく、噛み応えのある部位には網目状に切込みが入れてある。

こういった気遣いもまた、並が美味い理由の一つなのだろう。

 

「上ラムがよかった」などと素人丸出しの愚痴をこぼす友人を尻目に、わたしはせっせとジンギスカン鍋に肉を並べた。

さっきまでの「極上」の焼き時間は、最大でも15秒程度の猶予しか与えられなかったため、何枚も載せておくことができなかった。ところが今回は「しっかり焼け」との指示が出たため、何枚も同時に焼いておかなければ逆にタイムロスとなってしまうのだ。

そして、しっかりと焼き色がついた「並」を口へと運ぶ。

 

(・・・こ、これは)

 

なんと、ラム肉の味がするではないか!これは正真正銘、ラム肉である。ということは、さっき食べた「極上」はなんの肉だったんだ——。

それはもちろん「羊(ラム)」に決まっているが、あまりにラム特有のくさみがなかったため、むしろ、なんの肉を食べているのか分からなかったのだ。

ところが今、わたしが頬張るこの肉は紛れもなくラムである。とはいえ、くさみがあるとかそういうこともない。ただ、豚肉でも牛肉でも鶏肉でもない、若い羊肉の味がするのである。

 

(あぁ、これこそがラム肉を味わうということなんだ・・)

 

これまた当たり前だが、わざわざジンギスカン店を選んだにもかかわらず、なんの肉だか分からないほどクセもくさみもないラム肉など、わざわざ注文する意味はない。

ジンギスカンを食べにやってきたのならば、ちゃんとジンギスカンを味わわなければなるまい。ニオイを恐れて無臭ニンニクを食すのと同じで、ニンニクが食べたいのならば、今日一日を捨てる覚悟で堂々と食べなければならない。

 

(よし、これからはなんでも並を注文することにしよう)

 

・・こうして、独りよがりで玄人かぶれの旅は続くのであった。

 

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