日常生活において、わずか1ミリが気になることなど、そうあるものではない。
化粧をする女性のアイラインが1ミリズレたら、多少残念かもしれないが、それでも人間の顔なんて左右対称ではないし、どのみち何ミリかズレているのだから大した差ではない。
もしかすると坊主頭ならば、1ミリ伸びただけでもタオルの引っ掛かりがよくなるとかで、気がつくのかもしれない。
だが、たかが1ミリ伸びただけで丸刈りにしていたらキリがないわけで、ある程度伸びてからバリカンを当てるのが普通だろう。
このように、たった1ミリの差が気になることというのは、普段の生活ではあまり考えられないわけだ。
しかし、わたしにはソレがある。しかもかなり昔から、そう、小学生の頃から気になっていた。
それは、手の爪の長さである。
幼少期からピアノを習っていたこともあり、爪が長いと鍵盤に当たってカチカチ音がしたり滑ったりするため、2~3日に一度は爪の手入れをしてきたわたし。
しかも、あまりに短いスパンでのメンテナンスのため、爪切りを使うことはない。切るほどの爪の長さもない、というのが正直なところだが、それ以前に、爪切りでパチンパチンと切ったのでは、あまりに直線的すぎていただけない。
そこで昔から、爪やすりをつかって爪を砥いでいるのだ。
今でこそネイルファイル(爪専用のやすり)を使用しているが、かつてはダイヤモンドヤスリを愛用していたこともある。
無論、小学生の頃は爪切りの裏側についているやすりで調整していたが、あれはどうも目が粗くて好きではない。
もっと精密に、ミリ未満の細かさで爪の整備を行いたい、という強い気持ちから、いつの間にかダイヤモンドヤスリを持ち歩くようになったのである。
柔術においても爪の長さは重要だ。自分の爪が折れたり剥がれたりする分には、自業自得で済むから問題ない。
しかし他人を傷つけた場合には、謝って済む問題ではないだろう。
そもそも爪が長いのは不潔ともいえる。
爪と肉の間までブラシでゴシゴシ洗っているならば別だが、流水と石鹸で洗う程度では爪の隙間の汚れや細菌は洗い流せないからだ。
それに加えて、爪は歯の次に硬度を誇る上皮組織のため、当たるスピードや角度によっては、人間の皮を削ぎ肉をえぐることもできる、恐るべき武器なのだ。
こういった理由からも、コンタクト競技において爪が長い人間というのは、強さや上手さ以前にマナー違反であり最悪である。
*
そして今、わたしは玄関を出て鍵を閉めたところだ。強い日差しのおかげで寒さは幾分和らいでいる。
一階にいるエレベーターを呼び出すため、「下」ボタンを連打して到着を待つ間、よせばいいのに余計なことに気がついてしまったわたし。
(・・しまった、左手親指の尖り方が気になる)
爪の先端にある「フリーエッジ」と呼ばれる白い部分は、それこそ糸一本分ほどの細さで、爪やすりを使って整えるほどの長さにもなっていない。
しかし、フリーエッジの中央部分を人さし指の腹で触れると、微妙に尖がっている感じがするのだ。
他人を傷つけるほどの尖り方ではないし、指で触れなければまったく気にならない程度のものだが、こういうことは一度気になるとキリがない。
とはいえ、今さら室内に戻って爪やすりを取りに行くには、時間が迫りすぎている。いま上昇しているエレベーターに乗らなければ、予定の電車に乗り遅れてしまうからだ。
そんなことは分かっているが、それでもこの爪の尖り具合いが気になって仕方ない。いったいどうすればいいんだ――。
エレベーターの呼び出しボタン付近をぼーっと見ていたわたしは、ふとあるアイディアが思い浮かんだ。
この、滑らかでありながらもゴツゴツした打ちっぱなしのコンクリートならば、わたしの爪をいい感じに丸く砥いでくれるのではなかろうか――。
考え終わる前に、自然と手が伸びた。
そして胸の高さのコンクリートに親指を当てると、コシコシと何度か上下させてみた。
(いい感じに爪が削れてる・・)
生々しいコンパネの跡をなぞるかのように、わたしは必死に爪をこすりつけた。
滑らかすぎず粗すぎず、ちょうどいい状態のコンクリート壁は、思い通りの強度で爪を整えてくれる。爪やすりでもないのにこれほどの見事なカーブを削り出すとは、打ちっぱなしのコンクリートを侮るべからず。
・・こうして、エレベーターホールにDNAの痕跡を残すと、晴れやかな気分で自宅を後にしたのであった。
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