今日は気分が沈んでいる。なぜならば、ウキウキしながら買った「とちおとめ」と「せとか」にカビが生えていたからだ。
店頭で果物を手に取るとき、それはそれは目を皿のようにして状態を見極めるわたし。時間帯が遅かったためか、今日のとちおとめは品数が少ない。よって、最高レベルとまではいかなくとも、見える範囲でもっともハリがありツヤツヤしたパックを選んだ。
ちなみに隣りのイチゴは、うっすらピンク色で傷み始めていた。その下のイチゴは、赤い部分が少なくて青白さの目立つものだった。ほかにも、イチゴ同士がぶつかって果汁が漏れていたり、見るからに若い(硬い)ビジュアルであったり、なかなかお眼鏡にかなうパックには出会えない。
そんな中でも辛うじてトップで逃げ切ったのが、いまここにあるイチゴだった。表面上は最高の仕上がりだ、帰宅したらすぐに食べ尽くしてやろう――。
そしてもう一つ、ここ最近もっとも食べている果物といえば柑橘類で、とりわけ「せとか」と「甘平」の消費が激しい。理由は簡単、いずれも手で簡単に皮が剥ける果実だからだ。
包丁の設置をしていない我が家において、青果物を切るという行為はかなりハードルが高い。包丁の代わりにサムギョプサルを切断するハサミがあるので、キュウリやニンジンはそれで切り分けている。だが柑橘類で皮の硬いもの、たとえば「文旦」などは、ハサミを使って皮を剥ぎ落すとなると、かなりの重労働を強いられる。
そこでわたしは、柑橘類は手で皮が剥けるものしか食べないことにしている。とはいっても見た目や触り心地は硬そうな外果皮でも、意外と簡単に爪が入る品種が増えている。
見た目とのギャップでいえば、「デコポン」と「ポンカン」が不動のツートップだろう。見るからに丈夫で硬そうな皮をにらみつけながら、力を込めて親指をグッと突き立てる――。すると、拍子抜けするほどあっさりと外果皮を突破し、果肉へと到達してしまうのだ。
そして皮の剥きやすさに加えて「サイズがデカい選手権」の優勝候補といえば、それこそが甘平とせとかなのだ。その分お値段もお高めではあるが、口へ運ぶまでのストレスを考えるとこの二択となる。
ちなみに毎日これらを10~20個ほど平らげているので、わたしの親指の爪は両方とも黄色く染まっている。そして必然的にささくれへ果汁が染みこんでくるので、痛みに耐えたご褒美の感覚でもある。
そんな「せとか」は4個1パックで売られていた。パックの表面は透明なセロファンで覆われているので、鮮度や傷の見極めが容易にできる。間違いなくコイツがいいだろう、と自信をもって選んだパックを手に取り、レジへと向かった。
*
帰宅してすぐ、まずはとちおとめのセロファンを剥がすと、上段のイチゴを片っ端から食べ尽くした。
…水道で洗わないのか?もちろん、そのようなことはしない。では逆に尋ねるが、イチゴ畑で美味しそうなイチゴが実っていて、その場で捥(も)いで口へ持っていかないとでもいうのか?笑止の至りよ。
そして下段のイチゴへ指を伸ばした瞬間、なんと角っこの個体にカビが生えていることに気がついた。しかも、隣りのイチゴと接する部分にカビが生えているではないか。
(これは、この2個以外は食べられるということなのか?それとも安全を期して、さらにその隣りまで食べないほうがいいのか?)
迷ったあげく、「さらに隣り」の外側部分から食べることにした。カビの胞子は目に見えないため、どこまで菌糸が伸びているのかわからない。
(せっかく買ったとちおとめ、やはり美味しくいただきたいからな)
カビ未遂のお口直しに、せとかへと手を伸ばす。まずは一つ目のせとかを処理した。期待通りの甘さと食べやすさだ。そして二つ目を掴んだその瞬間、まるで犬のうんちをわしづかみしたかのような感触が、わたしを襲ったのだ。
焦りと恐怖から、思わずせとかを放り投げた。そしておずおずと近寄ってみると、なんとそこにはライトブルーとオフホワイトのカビがびっしりと生えていた。
――カビが生えてフニャフニャになった外果皮を掴んだ結果、わたしは、犬のうんちを連想してしまったようだ。
ではなぜ、そこまで派手にカビが生えていたことに気がつかなかったのだろうか。それは、せとかの下半分を包んでいた「フルーツキャップ」の存在が原因だった。
フルーツキャップとは、果物を衝撃から守るためにかぶせる発砲緩衝材のこと。マンゴーや白桃など、傷つきやすい高級フルーツが着用するシルクドレスのようなもの。
こいつのせいで、カビを発見することができなかったのだ。
悔しさと無念さのあまり、せとかを床に転がしたままわたしは考えた。なぜ今日のフルーツは、よりによって両方ともカビが生えていたのだろうか――。
そして一つのヒントとなる「表示」を思い出した。
(そういえば両方とも、半額だった)
サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)
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