カネじゃ手に入らない"感覚"について

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この世はすべてカネで解決できる・・と思われがちだが、いくらカネを積んだところで手に入らないものはある。その一つに「感覚」が挙げられるだろう。自分自身が感じる感覚というのは、いくら大金を積んだところですぐさま得られるものではないからだ。

 

わたしは今、なんとか手に入れたい感覚がある。それは、"ピアノの鍵盤の上半分で音を出すこと"だ。鍵盤というのは、しっかり奥まで押し込まなくとも音が出る。そして打鍵スピードによって、音は強くも弱くも変化させられる。つまり、そっと触れば弱い音になるし、素早く振り下ろせば強い音となるのだ。

これらの特性を生かして、"鍵盤の上半分だけで色々な音を出したい"というのが、ここ最近のわたしの欲望なのである。

 

今までのわたしは、とにかく楽譜に書かれた音を正確に出すことだけに心血を注いできた。無論、心血を注いだところで、完成度は未熟でありその努力は報われないのだが。

それでも、どちらかというと「テクニック」に偏りすぎていたことは否めない。速いパッセージを転ばずに弾くには・・とか、アルペジオを滑らかにつなげるには・・など、部分的ではあるが弾き方にこだわってきたように思うのだ。

 

しかし最近、わたしは「音」を聞くようになった。ピアノを弾けば音が出るのだから、ずっと昔から聞いていたわけだが、それはどちらかというと「一つの音」であり、まるで電子音のような単調で機械的なものだった。

・・などと言うと、ずいぶんと難しい話に聞こえるが、これは誰にでもある経験に置き換えることができる。

 

「自分の声」について、発している本人に聞こえている音と他人に届く音との違いに、驚いた経験はないだろうか?

わたしは、動画やレコーダーに保存した自分の声を聞いて「え、こんな声してたっけ?!」と焦った記憶がある。もっといい声だと思っていた・・というわけではないが、なんとも恥ずかしい声質に耐えきれず、最後まで聞いていられなかったのだ。これは「歌」についても同じだった。自分の歌声を録音したものを再生したとき、聞き惚れるどころかあまりの生々しさに眩暈(めまい)がしたほど。

このように、自分自身が奏でる"楽器"ともいえる声が、聞いている本人と他人とでまるで違うかのように、わたしが弾くピアノの音も自分が想像しているものとはずいぶん違う・・ということを知ったのだ。

 

今までも何十回、何百回と自分の演奏を録音しては聞き直していたが、「聞き苦しいな」と思いつつも、なにをどうすればいいのか分からずに過ごしてきた。だが最近、出している音がすべて同じだということに気づいたのだ。

(わたしが出したい音・・というのは、いったいどういう音なんだ?)

弾いている自分が、出したい音も分からずに打鍵しているのでは埒が明かない。目指す音もなく、ただただ弾き続けているだけで、その先になにがあるというのか——。

 

そう思ってからは、いろんなピアニストの「音」を聞くようになった。同じ曲を聴き比べることで、使っているピアノや録音状態によって違いはあれど、その人なりの音があることに気がついたのだ。

そのときにふと思った。——鍵盤を下まで押し込めば、出せる音は一つしかない。だが、半分までで出せる音ならば、膨らませたり細らせたり色々なことができるんじゃないか。

 

鍵盤を半分までしか押さないよう意識しながら、軽やかな踊りの曲を弾いてみたところ、まるで歯抜けのように半分くらいしか音が出なかった。要するに、音が出るところまで打鍵できていないのだ。

(こんな簡単なことすら気づかずに、今までピアノを弾いてきたのか・・・)

太鼓の音は、一般的には「一つ」だろう。だが、同じ太鼓でも叩く強さや部位、撥(ばち)の種類によって、聞こえてくる音はいくらでも変わる。それと同じで、ピアノという楽器も弦をハンマーで叩くことで音がでるのだから、叩き方を変えれば出せる音も変わるのだ。

 

 

次の練習曲は、モーツァルトのソナタ。キラキラとした音が持ち味のモーツァルトだが、今のわたしにはとてもじゃないがそんな音は出せない。

そもそも「キラキラした音」などという表現は、漫画の世界でしか使われないものだと思っていた。それが今、「あぁ、たしかにキラキラしている・・」と頷いてしまうのだから不思議である。

 

それでも、その音を求めて練習することは気持ちがいい。今までのようにテクニックだけを追い続けていたのでは、いつまでたってもゴールは切れないだろう。

指が速く動くからなんだ。必要なのはそこじゃない、音楽なのだから「音」が重要なのだ。そして音は一つではない。音符としては一つの音かもしれないが、伸ばしたり丸めたり、尖ったり薄っぺらくしたりと、様々な変化を遂げることができるのだ。

 

(・・って、メモしておこう)

 

llustrated by おおとりのぞみ

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