三人の労働者

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この世は労働者であふれている。当然、立場が違えば感じ方や考えも変わる。そして間に立つわたしは、どちらにとっても負担の少ない結論を導かなければならないのである。

 

 

「労基署から、様式5号が返送されてきました」

様式5号とは労災申請書の一つ。これを医療機関へ提出することで、費用を支払うことなく治療が受けられるのだ。もちろん、業務上の怪我や病気の場合だが。

 

今回の主人公となる労働者は、およそ一年前に新型コロナに感染したため、数日間仕事を休んだ。しかし、本人や会社から相談がなかったことと、パートタイム労働者であったことから、その数日間が欠勤なのか否かが分からなかった。

この時点で確認するべきだったが、パートタイム労働者の場合はシフトによって週3~4日の休みとなるため、そこが欠勤であることにわたしが気付けなかったのだ。そしてこれこそが、事件の引き金となってしまったのである。

 

コロナ欠勤から一年後、突如、その労働者から「労災申請がしたい」との申し出があった。医療従事者であることから、新型コロナの感染経路が不明であっても、業務上の可能性が高い場合は労災認定されるのである。

(なぜ今さら・・・)

とはいえ、患者と接する仕事であり、新型コロナに感染した事実がある以上、労災申請を行わないわけにはいかない。

だが正直なところ、新型コロナの労災申請における添付書類の多さには辟易していたし、健康保険証を使用しての治療であったことからも、願わくば「傷病手当金」の申請を推したかった。

なんせ、添付書類も医師の証明も不要な上に審査もスムーズ。社労士からすると、傷病手当金さまさまなのである。

 

それでも、労災申請の希望があれば対応しなければならない。わたしは早速、大量の申請書類を整え、勤務先の担当者へと送付した。

ところが、労基署の職員いわく「5号は医療機関経由で提出するものなので、労働者が提出するものではありません」と、5号様式を返送してきたのだそう。

(なぜだ?あれほど5号はクリニックに出してくれ、と伝えたはずなのに?)

 

「そう説明したのですが、クリニックで『労働者から労基署へ提出しろ』と、5号用紙を突き返されたみたいです」

勤務先の担当者がそう説明してくれた。担当者は事前にクリニックへ電話をし、様式5号の意味や目的を確認したとのこと。言うまでもなくクリニックは労災指定病院であり、そんなことは承知の上である。ではなぜ――。

 

ここで考えていてもらちがあかないため、わたしがクリニックへ電話をすることにした。

 

「一年以上前のことで、すでに健康保険協会へレセプトを回しています。健康保険の取下げを行ったのであれば、5号ではなく7号で費用請求を行えばいいのではないでしょうか」

クリニックの担当者は、療養の給付ではなく費用請求で手を打つことを提案してきた。なぜ、わざわざそんな面倒なことを提案するのだろうか?

なんともいえない違和感を覚えたわたしは、担当の女性に対して

「ぶっちゃけた話、5号を受け取りたくない理由ってなんですか?」

とラフな口調で尋ねてみた。すると、しばらく沈黙した後に彼女はこう答えた。

「ぶっちゃけ、処理が面倒なんです・・・」

 

――なるほど。これですべてが繋がった。5号を受け取ると、レセプトの処理を一からやり直すこととなるのだ。今回労災認定されれば、医療費の請求は健康保険協会ではなく、労働基準監督署、つまり国への請求となる。

もしもゼロからのスタートならば面倒なことではないが、すでに処理が済んでいる案件、しかも一年以上前のことであり、彼女が嫌がる気持ちもよくわかる。

「めんどくさがらずに、ちゃんと仕事しろ!」

そう思うのが普通かもしれない。だが、その面倒な処理をするのが自分だったら、どう思うだろうか。

 

そもそもクリニック側は、初診の時点で労働者に「労災申請するならば書類を出してほしい」と説明をしたらしい。それでも労働者が「労災申請はしない、健康保険を使う」と断言したとのこと。さらに担当者は「もしも労災申請する場合は、今月中にお知らせください」と念入りに補足までした。

にもかかわらず、労働者は健康保険を使って治療を受けたわけで、なおかつ、一年以上経過してから労災に切り替えようとしているわけで、担当者にしてみれば「だからあの時言っただろうが!!!」となるのは当然。

さらに、そのクリニックは発熱外来も併設しており、患者の往来は一般的なクリニックよりも多い様子。それなのに、クリニックに落ち度のない余計な業務を強制するのは、なんというかかわいそうである。

 

労働者はこのような裏事情を知らないため、元気に仕事に励んでいる。

勤務先の担当者はどうしたらいいのか分からず、この状況に不安と苛立ちを覚えている。

そして受診先のクリニックも、落ち度のない対応をしたにもかかわらず、一年越しでブーメランを食らったわけで、全力で拒否したい気持ちはよくわかる。

 

「あ、〇〇労基署の労災課さんですか?わたくし、社労士のURABEと申します・・・」

 

これこそがわたしの仕事だ。誰も嫌な思いをせず、誰の手を煩わせることもなく、事が穏便に済む手段を導き出すのが、わたしの任務である。

 

Illustrated by 希鳳

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