マイ・バッハ

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大学以来、かなり経ってから再開したピアノ。再びレッスンを受け始めて来月でちょうど2年になる。驚くほど進歩がなく、弾いているうちに勘が戻るだろう、などと安易に考えていた2年前が懐かしい、いや恥ずかしい。

そもそも「当時の自分に戻ろう」という考えが、おこがましいし女々しい。これはネガティブな意味ではなく、図々しいという意味だ。あの当時のわたしは、少なくとも今の100倍はピアノが弾ける人間だった。そこまで戻れなくても、せめて今の10倍くらいは弾けるようになるだろう、と楽観視していた2年前。

よく、前向きに捉えて「未来に向かって少しずつ成長していこう!」などと励ましてくれる人がいるが、(物理的な要因で)思うように動かなくなった指という現実をいまだ受け入れられないわたしにとって、その言葉は腹立たしい以外のなにものでもない。無論、これも負け惜しみだが。

 

そして火曜日といえば毎週恒例レッスンの日。散々ノスタルジックなことをこぼしながらも、じゃあどれほどピアノと向き合っているのかと問われれば、一週間ほぼ練習していないのだから聞いて呆れる。そうだ、わたしは口だけ番長なのだ!

さらに今週はショパンコンクールウィークでもあり、連日寝不足が続く。しかし5年に一度のショパコンをYouTubeでリアル配信など前代未聞ゆえ、この貴重なチャンスを逃すまいと、朝日が昇るまでYouTubeにかじりついているわけだ。

 

そんなわけで、自分のレッスンそっちのけでショパコンに時間を費やしたわたしは、今まで隠してきた「奥の手」を使うことにした。早速、YouTubeである人物の演奏を検索する。

「マレイ・ペライア・・・っと」

 

ペライアは著名なピアニストであり指揮者であり、また音楽祭のディレクターなどもこなす多彩な音楽家。そんな彼は43歳のときに右手の親指を怪我し、数年間ピアノから離れることになる。再起不能と囁かれる中、ペライアはバロック音楽、とくにバッハの研究に取り組んだ。その結果、48歳で怪我からの復帰を果たした際には、バッハの作品について世界中から高い評価を得ることとなったのだ。

 

先週、先生は「ペライアのバッハが最高だ」とボソッと呟いた。そしてわたしが練習している曲は、バッハのシンフォニア。これはペライアをパクる以外に方法はない。

 

わたしはペライアのYouTubeを探し出し、繰り返し何度も聞いては脳みそに焼き付けた。そう、付け焼刃をやるのなら、とにかく完璧にコピーをしなければ意味がないからだ。

幸いにも、いま与えられている曲は難しくない。つまり上手く雰囲気を出せればそれなりに聞こえるはず。とにかく完コピだ、すべての力を総動員させて完コピするしかないのだ!

 

 

「どうしたの?こんなに上手に弾けたの初めてじゃない?」

 

やや放心状態の先生が、そう褒めてくれた。そりゃそうだ、先生がお気に入りのピアニストの弾き方を丸パクりしたのだから、文句のつけようもない。

「たとえばここなんか、属和音じゃない?つまりここにテンションがくるわけで、ある意味ピークよね。そういう基本的なルールをちゃんと守って弾けていたわ。もしかして、急に思い出したの?」

やはり腑に落ちない様子の先生。だがそれ以前に、先生の言っている意味がわたしにはまったくわからない。属和音だからテンション?そもそもこの曲が何調なのかもわからずに弾いているわけで。

「重音は必然的にフォルテに、そして内声をきちんと把握して響かせる。アーティキュレーションに惑わされず、音楽の原則に沿って弾いていたから驚いたわ」

・・・そんなルールがあったのか。

わたしは音大へ行っていないので、音楽の専門的な勉強はしていない。音大受験レベルの、素人に毛の生えた程度の楽典しか知らない。そんな深い話をされたとて、まったく理解できない。

 

ピアニストというのは、音楽の専門的な勉強や高度な技術指導を受け、血のにじむような練習を重ねた人たちを指す。楽譜には書かれていない当然のルールや原則を踏まえた上で、各々の分析や考察を加えて音として表現しているのだ。

そのピアニストの演奏を聞きかじって真似しただけの演奏を、まるで音楽を深く理解しているかのように評価されてしまうと、これはちょっとまずいことになる。むしろ不本意だ。

 

あぁ、これが最後のレッスンならばよかったのに、と後悔せずにはいられない。

 

 

「疑惑のバッハ」の次にツェルニー(練習曲)を弾いたのだが、案の定、いつものわたしに戻っていたので安心した。誰が安心したのかって?それは先生に決まっている。もちろん、わたしもホッとした。

 

人間、変にかっこつけたりしないほうがいい。ありのままで評価されるのが自然だし、なによりも安全だ。

 

 

サムネイル by 希鳳

 

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