「運」というのは、良くも悪くも偶然の積み重ねである。こちらが願ったり望んだりしなくても、必然的にとある方向へ導かれると、「あぁ、こういうことなのか・・」と妙に納得させられたりする。
そんなわたしの”小さな偶然の重なり”は、今日、無事に点と点がつながり結実した。
元旦は一歩も外へ出なかったどころか、いつの間にか睡魔に襲われ翌朝を迎えてしまったわたしは、「今日こそは一歩でも外へ出よう」と決めていた。
とにかく面倒くさがりなわたしは、一歩も動かずに過ごせるならばそれに越したことはないと思っているのだが、面倒くさがり以上に重度のカフェイン中毒であるわたしは、コーヒーを飲まなければ自我を失う恐れがある。しかも「他人が淹れたコーヒー」というのが絶対条件のため、何が何でも今日は外へ出る必要があるのだ。
そんなわけで、ラスベガスのハーレーダビッドソンで購入した1リットルのタンブラーをぶら下げて、マンションの隣にあるネルドリップコーヒーの喫茶店へと向かった。
(・・13時からか)
普段は12時にはオープンしているのだが、年末年始の特別スケジュールのため今日は13時からとのこと。あと30分か——とその時、店のドアが開いた。
「まだだけど、いいよ」
そう言いながら顔を出したマスターに、持ってきたデカいタンブラーを手渡すと「少しウロウロしてくるね」と告げ店を離れた。とはいえ、さすがにスタバでコーヒーはどうかと思うし、コンビニというのもなんかなぁ・・とりあえず、ぶらついてみるか。
だが、新年早々どこの店も閉まっている。シロガネーゼ御用達のスーパーであるクイーンズ伊勢丹ですら、今日は休業の様子。
(まいったな、どこで時間をつぶそう・・)
そんな時、ふと近所に神社があることを思い出した——そう、われらが氏神・白金氷川神社だ。今から1340年ほど前、白鳳時代(672~686)に白金の総鎮守として創建された港区内最古の神社で、須佐之男命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)大己貴命(おほなむちのみこと)という、素人でも聞き覚えのあるビッグスリー三神が祀られている。
・・恥ずかしながら、白金という地域に住み始めて15年以上が経過するが、この白金氷川神社を参拝するのは今日が初めて。これまで何十回、いや何百回と鳥居の前を通過してきたが、あの長い階段を上って境内に踏み込むには至らなかった。
その理由の一つが、「現金を持っていないから」だった。時間がある時に「お参りしてみたいな」と思っても、さすがにお賽銭なしでは失礼に当たるだろう・・と思い断念してきたのだ。加えて、参拝の礼儀というか作法もわきまえていないため、軽々しく踏み入ってはならない高貴な場所というイメージもあり、何だかんだで敬遠してきたわけだ。
ところが今日、たまたま羽織って出掛けたダウンジャケットのポケットに、500円玉と10円玉が一枚ずつ潜んでいた——そういえば昨年末、行きつけのカフェを出た直後に、女性店主がわたしを追いかけて来たんだっけ・・そして自身の片手をわたしのポケットへ突っ込み「こんなことしかしてあげられなくて、ごめんね」といって、急いで店へと戻っていったのを思い出す。
どういうことかというと、いつも通りコーヒーやカフェラテをたくさん飲んだわたしは、年末ということもあり、「どうせなら」と奮発してコーヒー豆や玄米茶の粉も購入したのだ。そして、いつもより高額となった会計を電子マネーで済ませたところ、百円以下の金額が510円だったらしく、その端数(?)を「中途半端だから」という理由をつけて、現金で返してきた模様。
無論、彼女なりの「気持ち」であることは理解しているし、そんな気遣いが嬉しくもありがたかったので、受け取った500円玉と10円玉をポケットへ入れたままにしておいたのだ。
(それがまさか、ここへきて役に立つとは・・)
今日、スタバではなくネルドリップの喫茶店を選んだこと、そして店のオープンまで時間があるため時間つぶしを余儀なくされたこと、さらに近所の店舗が休業中であることや時期的に初詣へ行くべきタイミングだったこと、極めつけは「奇跡的にも」現金を持っていたこと——。
もしも、最初からスタバへ向かっていれば神社を参拝することはなかったし、ネルドリップの喫茶店が営業中であれば徘徊して時間をつぶす必要はなかった。それよりなにより、現金を持たぬまま初詣というのは、さすがに無礼だしマナー違反といえる。
つまり、小さな偶然の積み重ねが、白金氷川神社への初参拝を可能にさせたのである。
なお、わたしの前後に並ぶ参拝者(シロガネーゼ)たちは、硬貨ではなく紙幣を賽銭箱へ投げ込んでいたため、「チャリン」と音をさせたのがわたしくらいだったのが引っかかるが、とりあえずちゃんと金銭を納めることができてホッとしたのは事実。
というか、思い返せば神に何かを望んだわけではなく、ただ単に「現金を投げ入れることができてよかった・・」という一心で手を合わせていたわたしは、一体なんのために参拝したのだろうか——。
とにもかくにも、なんとなく運のいいスタートを切った2026年なのであった。




















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