真冬の射撃は骨身にこたえる。
考えてもみてほしい。
雪こそ散らついていないにせよ、外気3度の寒空の下、なにが楽しくてターゲットを外すのか。
こちらは一度たりとも「外してもいい」などと思いながら撃発することなど、断じてない。
寒さに震えながら、目ん玉を大きくひん剥きながら、飛び出したターゲットを狙い撃つ。
しまったーー
ほんのちょっと、狙うより先に僅かに体が動いてしまった。
そのほんのちょっとが、20メートル先のターゲット付近では数十センチの差となる。
オレンジ色のターゲットは傷一つないキレイな身なりではるか向こう側へ飛んで行き、地面に落ちると同時に割れた。
私の弾で割れなければ意味がない。
こんな、ほんのちょっとのことでこれほどの屈辱と反省を強いられる競技など、面白いはずもない。
ましてや身を切るような寒さの山奥で真剣に引き金を引いた結果、ターゲットは無傷で何も起きなかっただなんて。
ーー早く帰りたい
*
散弾銃所持者は3年に一度、技能講習を受講しなければならない。
これを受けないと、銃を取り上げられる。
べつに取り上げられてもいいのだが、せっかくだから所持しておこうと重い腰を上げ技能講習を申し込んだ。
いま思うと、なにも12月という極寒の時季を選ぶ必要はなかった。
ただ、思い立ったら即行動しないと忘れてしまう性質ゆえ、この選択は致し方ない。
さらに思い返すと、最後に真剣に射撃をしたのは一昨年の国体予選。
先輩らは頑なに「ちがう」と拒むが、結果的に私の点数が足を引っ張り、国体常勝の東京都が関東ブロック予選すら通過できなかった。
そんな恥をかかせたのは、やはり私のせいだろう。
あの日以来、パッタリ射撃を辞めた。
未練も後悔もなかった。
ただ、誰に対する気持ちかは分からないが、誰にも顔向けできない心境に陥った。
誰に謝ればいいのか分からない、そして、誰も私を責めないという居心地の悪さに耐えられなかった。
かなりの年月が過ぎたが、未だに当時のことは思い出せない。
今さら何も感じはしないが、とにかく思い出したくはない。
*
今日、射撃場へ着いた瞬間からずっと、帰りたいと願い続けている。
もはやターゲットを撃破しようがしまいがどちらでもいい。
どれだけ一生懸命狙ったところで、割れないものは割れない。
それがお前の実力だと言われることも、その通りだし否定しない。
茶色く枯れた冬の山を背景に、鮮やかなオレンジ色のターゲットが飛び交う。
時間は昼過ぎ、一日のなかで最も穏やかな時間帯だ。
空は青く、凪いだ湖面(しかし茶色く濁った)のように静かな景色が広がる。
私はいち早く弾を消費せねばならない。
滅多に来ない射撃場に来ているわけで、この機会に嫌というほど弾を撃っておかなければならない。
弾は許可制のため、あまりに残数が多いとそのうち公安から愛想をつかされるからだ。
とは言え今現在、私の興味の矛先がどこへ向いているか分かるだろうか。
両手で握る散弾銃でも、その先を飛ぶターゲットでも、そのさらに先にそびえる禿げた斜面の山肌でもない。
少しだけ顔を起こすと視界に入る、真っ青な空を従えた紅白の巨大な高圧鉄塔だ。
なぜ紅白かというと、高さ60メートル以上の鉄塔は紅白に塗装することが、航空法により義務付けられているからだ。
これは「昼間障害標識」といい、航空機を操縦するパイロットがその存在を認識し、安全性を確保するための目印となる。
紅白鉄塔が好きなわけではない。
色など関係なく鉄塔が好きなのだ。
とくに大型の送電線など、足を止めてまじまじと見上げてしまう。
なかでも「がいし」と呼ばれる丸っこいオセロ石のような器具の数をかぞえる時、この上ない幸せを感じる。
がいしは絶縁体の役割を果たす。
なぜ鉄塔にまで電流が流れてこないのかといえば、電線と鉄塔の間にがいしが装着されているからに他ならない。
そしてがいしの数が多ければ多いほど、超高圧な大電流が流れている証拠でもある。
何十個も連なるがいしを発見すると、その姿にウットリ見惚れてしまう。
おっと、そうこうするうちに射撃の時間は終了だ。
ここへはもう二度と来ないかもしれなし、何年後かにまた訪れるかもしれない。
今はまだ、なにも決まっていない。
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