最近、ネコが身近にいる生活を送っているせいか、ネコの扱いに慣れてきた節があるわたしは、ついに「ネコの行動を制御する術」を身に着けた。
元来、イヌまたはカピバラ派であるわたしは、そもそもなぜそっち派なのかを考えてみた。イヌは犬種にこだわらずどんなタイプでも好きではあるが、あえていうならば毛が短くて鼻がつぶれた・・そう、フレンチブルドッグやパグといった短頭種がお気に入り。
あのブサイクな顔は、見ているだけでホッコリする。餌を前に「待て」をさせられている時など、早く食べたくて仕方がない衝動を抑えつつ、目玉が飛び出しそうなほど必死に目を見開いた結果、両目が徐々に左右へと離れていく様子などは、何度見ても面白いし可愛い。あれをわざとではなく天然でやっているのだから、フレブルはもはや笑いの天才といえるだろう。
そして、イヌというのは得てしてニンゲンの指示に従う傾向にある。名前を呼べばこちらへ来たり、「お手」や「おすわり」といったパフォーマンスを覚えたり、ニンゲンに従順な動物としてその地位を確立してきたわけだ。
さらに、ドッグフードを皿へ入れる音がすれば、どこにいようがすっ飛んでくる姿には、食い意地・・いや、食への飽くなき探求心を見せつけられているようで、欲に忠実なその姿に惚れ惚れするのである。
ちなみに、もう一つの”推し”であるカピバラは、名前を呼んでもまあり反応はしないが(一部例外を除く)、青草やトウモロコシをチラつかせるとノソノソとやって来る。
こちらもまさに「餌に釣られる」を体現しているわけで、まるでわたし自身を見ているかのような親近感に愛おしさを覚えるのであった。
・・このように、イヌもカピバラもニンゲン側のコントロールで行動を強制できる一面があるが、ネコは違った。
たしかに、名前を呼べば振り向きはする(とはいえ、アチラさんの機嫌による)のだが、だからといってこちらへやって来て、膝の上に乗るでもなければじゃれるわけでもない。ただただ乾いた視線をこちらへ向けるだけで、その場を動こうともしない。
そして、「ならば」とキャットトイで遊んでやろうとしても、アチラさんが遊びたい気分でなければガン無視なのだ——ネコ様に遊んでもらうには、まずはネコ様の気分が「遊びたいモード」になるのを、ニンゲン側が待たなければならないわけか。
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そんなわけで、ラスベガスに住む友人宅で飼っている三匹のネコたちは、夜になると外へ出る習慣があった。たしかに、ベガスの夜は気持ちがいい——気温は25度くらいだろうか、昼間の暑さとは打って変わって過ごしやすい気候になるので、ニンゲンも外でゆったりと夜空を眺めたい気分になる。
そして、世界中どこにいても「夜型」なわたしは、夜中になると仕事をするべくリビングで一人静かにパソコンを開いていた。そんなわたしをチラ見しながら、網戸の隙間から庭へと出ていくネコたちの数を数えるのが、わたしのもう一つの仕事でもあった。
家主は「外に出しっぱなしでも構わない」と言うが、さすがにネコが外にいるのを分かっているのに、ドアのカギを閉めて寝るのは気が引ける。時には、どこにネコがいるのか分からずにドアを閉めることもあるが、できれば室内に入れた状態で——つまり、安心した状態で就寝したいというのが正直なところ。
だが、そんなわたしの親心(?)も知らずに、ネコたちは一向に部屋へ戻ってはくれなかった。
庭を見ると暗がりにネコのシルエットが見えるので、それぞれの名前を呼んでみるもガン無視。キャットトイをチラつかせるも、当然ながら無視。ならば・・とネコのおやつを摘まんで見せても、「今は腹なんて減ってないよ」と言わんばかりに無視。
(一体どうすれば中へ戻って来てくれるんだ・・)
場合によっては、ドアの目の前に座っているネコを抱き上げようとするも、待ってましたとばかりにサッと身をかわし暗闇へと消えていくわけで、もはやお手上げである。
そんな”ネコに翻弄される深夜”を経験してきたわたしは、とあるテクニックを身に着けた。それは「あえてドアを閉めて、しばらく無視する作戦」だ。
名前を呼ぼうが媚びを売ろうが、いつまで経ってもなびかないのであれば、アチラがしびれを切らすのを待つしかない。無論、外は気持ちがいいのでずっと外にいても問題はないだろう。だが奴らも、室内の快適さを覚えているため、定期的に出入りを繰り返していることにヒントを得たのである。
そこで、しばらくの間——長いときは30分ほどドアを締め切った状態で放置しておき、ある時ふと外を見るとドアの前にネコたちがちゃんと寝そべっているではないか。
(やった、やったぞ!!ついにネコ使いになれた!!)
・・こうして、わたしは就寝前になると、呼んでも来ないネコたちをおびき寄せるべく、ドアを閉めて——すなわち罠を仕掛けて準備をすることにした。するとあら不思議、面白いほど簡単にネコを確保できるではないか。
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ニンゲンに懐かない”ネコ”という生き物は、ネコ自身の快・不快をコントロールすることで行動を制御できるのだ——ということを、アメリカへ来て学んだのである。
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