くどいようだが、わたしは今ラスベガスにいる。もはや、ここで暮らしているといっても過言ではない——などというと、至れり尽くせりでわたしの世話をしてくれている友人に対して失礼だが、とはいえこのカラッとした気候が非常に合っているのだ。
しかしながら、そもそも乾燥肌であるわたしの顔や手足は、常に白い粉を吹いておりカッサカサ。なんならコンタクトレンズもカピカピになるので、ジクアス(ドライアイ治療用の点眼薬)とワセリンが手放せない生活を送っている。
もっとも、一日のほとんどを屋内で過ごしており、直射日光や乾燥した外気に晒されているわけではないのだが、それでもなお明らかな水分の蒸発を体感できるのは、やはり”砂漠の州”として有名なネバダならではといえるだろう。
そんな干からびかけたわたしは、とある一冊の本を読まされ・・いや、読む機会を与えられた。その名も「正統竹内文書の日本史『超』アンダーグラウンド3」という、いかにも怪しげで魅力的なタイトルである。
アメリカに来てまで、古神道だの天空浮舟だのに現(うつつ)を抜かすほど、わたしは暇ではな・・・え?天空浮舟って、いわゆるUFOのことじゃ——。
そう、未確認飛行物体ことUFOは、古代の日本神話では「天空浮舟(あめのそらうきふね)」と呼ばれており、要するに遥か昔からその存在が確認されていたのだ。
そしてかく言うわたしは、かれこれ一週間にわたりUFOとの遭遇を待ちわびており、このタイミングでこの本与えられたことには、間違いなく意味があると確信したのである。
(これを機に、ついにUFOとご対面か・・・)
ちなみに、本を読み進めていくうちに「なるほど」と納得できる発言にぶち当たった。なんと、”UFOは空間を物理的に移動するのではなく、こちらの世界とあちらの世界の間を瞬間移動しながら進む(p22)”のだそう。だからこそ、視認や撮影が難しいのだ。
さらに、”UFOもこちらの次元に合わせるのに、ちょっと時間がかかる”のだそう。どうやら、UFOはすぐには物質化しないため、最初はオーブのような状態で我々の世界にやってくる模様。つまり、いきなりUFOというよりは、先にオーブ(丸い光の玉)の形で姿を現すというわけだ。
しかもこの著者はご丁寧に、「オーブを見る方法」まで紹介してくれている。それによると、絵やイラストを立体視する3D本を見る際の「平行法」で、オーブを見ることができる・・とのこと——マジか。この”目の使い方”は、わたしが得意なやつじゃないか。
どうやら、別次元と我々の世界との境界を漂うオーブは、この見方により視認できるらしい。だからこそ、ギラギラしながら血眼になって「なにがなんでも見つけてやる!」などと躍起になっているうちは、アチラさんも姿を現してはくれないのだ——と、その時わたしはハッとした。
(・・だからUFOは、わたしの前に現れてくれないのか!?)
UFOが物質化する前の兆候がオーブなのだから、UFOを見るにも同じ目の使い方をしなければならないはず。そして、鼻息荒く獲物を待ち構えていては、見えるものも見えなくなるのだ。
そういえば先日、UFOを見たことのある友人からこう言われた。
「多分、もうすでに現れているけど、見えてないだけなんだよ」
あの時の彼女の言葉が脳内でこだましている——そうか、つまり”わたし側”の状態が悪かったのか。
よくよく考えてみれば、もうすでにUFOが現れていてもおかしくはない。なぜなら、わたしの周りはUFO目撃者ばかりである上に、今いる場所はラスベガス・・UFOの聖地である。おまけに、レッドロックキャニオンを通過した際には、赤岩が持つ霊力(もしくは、単なる車酔い)のせいで具合が悪くなったほど、非日常に身を置いているわけで——。
ここまでお膳立てされた状態で、UFOが現れないわけがない。そう、もうすでに彼らは目の前にいるのだ。
(よし、目を平行法にして空を監視しよう!!)
*
いや・・だからなんていうか、「監視する」時点でUFOを見ることは叶わないのでは——。
コメントを残す