焼肉奉行ならぬ、焼肉妖精の不思議なチカラ

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先日、とある男友達と焼肉を食べたのだが、その翌日に「わたしはあの時、どんな肉をどうやって食べたのか、まったく思い出せない」という驚愕の事実を突きつけられた。唯一記憶に残っているのは、マンガ盛りの白米をおかわり含めて黙々と食べたことくらいで、肝心の肉についてどうやって胃袋へおさめたのか、まるで覚えていないのだ。

その理由を考えた結果、わたしなりに一つの結論へとたどり着いた。それは、友人による"職人級の焼肉さばき"が原因ではないか、ということだ。

 

あのさばき・・いや、ムーブについて何らかの名称を付けるとしたら"焼肉妖精"だろうか。

本来ならば、七輪まわりの諸々をまかなってくれる者のことを"焼肉奉行"と呼んだりするが、あえてそう呼ばずに「妖精」と名付けたことには理由がある。あくまでイメージの話だが、「奉行」というのはどこか偉そうで、かつ、仕切りたがりの側面を持つ。そのため、「今日の焼き肉は、このオレに任せておけ!」と言わんばかりに、己の好みと感覚で肉を選び網へとのせて、己の信じる焼き加減で同席者へ提供し、「どうだ?美味いだろ!」と言わんばかりに相手へ咀嚼を促すところまでが仕事。

もちろん、この奉行行為が悪いわけではないし、個人的には美味い焼き肉が食えればそれで充分なので、むしろありがたいといえる。だが、友人はひと味違った。

 

しゃべり続けるわたしに相槌を打ちながら、ごく自然に「しっかり焼くほうがいい?」などと肉についての好みを確認。同時に、わたしの食べるスピードを測りつつ、食べ頃に仕上がった肉を目の前に並べる。そして、ちょうどいい焼き加減のハラミやタンを互いにつまんだと思えば、気がつくといつの間にか新たな肉が網へと並べられている——。

文字にすると一見、いわゆる焼肉奉行と同じ行為をしているが、これらを違和感なく自然にやってのけるのが友人の職人技であり、その空気感と優しさはまさに妖精のよう。おまけに、動作にも会話にも無理がなく複数の所作をごく当たり前にやってのけるマルチタスクなそのムーブは・・そうか、奴は柔術の黒帯だった!!

 

柔術の黒帯・・しかもトップ選手ともなると、その卓越した技術と千里眼は驚異的なレベルとなる。そしてそれらの能力は、競技の場面のみならず食事の場でも惜しみなく発揮されるものなのだ。

相手に悟られることなく肉を並べ、会話に夢中にさせながらも肉の焼き加減に目を光らせ、レア過ぎず焼き過ぎずちょうどいい塩梅の頃合いを見逃すことなく、いつの間にか相手の目の前に肉を並べてしまう——これはまさに、柔術のムーブと同じではないか。

 

——だからわたしは思い出せなかったのだ。

どんな肉を注文したのかは、辛うじて覚えている。タンを二種類、ハラミ、ホルモン、レバー、サムギョプサル。だが、いつどの順番でなにを食べたのかが記憶にないのだ。にもかかわらず、肉はすべて平らげたので間違いなくわたしも食べており、しかも「ここの肉、今のところ全部美味いよね」という発言をした覚えもあるので、やはり肉は美味かったのだ。

ところが、友人が持つトップレベルの技術とさばきにより、滑らかかつ忽然と消えた焼き肉たちがわたしの記憶に刻まれることはなかった。

 

その点、マンガ盛りの白米については鮮明に覚えている。

(この店は、ライスが小と大しかないんだな・・)

この二択となれば大を選ぶに決まっているが、器から隆起した白米の山はわたしの心を躍らせた。白米たるもの、やはりこうでなければ——。

しかも、この店の白米は美味い。後にホームページを確認してみたところ、これといって白米に力を入れている様子はうかがえなかったが、それでもわたしがおかわりをするほどの味であるのは間違いない。

そもそも、白米が美味いとその他がイマイチでも十分満足できるのが、安上がりなわたしの良いところ。とくに、冷えた白米と生卵さえあれば・・おっと、この話はまた別の機会にしよう。

 

そんなわけで、自力で搔っ込んだ白米の記憶はあれど、友人に焼いてもらった肉の記憶が辿れないわたしは、なんとなく損をした気分になった。

(めちゃくちゃ美味かったんだけどなぁ・・どんな味でどんな状態だったか思い出せない)

この"記憶を消去する"ところまでが、焼肉妖精のしわざ・・いや、実力なのかもしれない。

 

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