敗者になりたいわけじゃないのに

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わたしは、ヒトと競う行為が嫌いだ。その理由は"勝てないから"だ。

 

4歳から取り組んできたピアノは、いつまで経っても上達の兆しは見えなかった。そもそも曲のイメージは湧かないし、そのように弾いているつもりが全然そう聞こえなかったり、指は怪我ばかりで動かなかったり・・。

譜読みについては多少早いかもしれないが、暗譜をしてもすぐに忘れるため、本番で何度も"恐怖の静寂"を作り出す・・というトラウマを抱えている。

 

せめて技術的な部分だけでも、たとえば指が速く動くとかオクターブが余裕で届くとか、そういうポジティブな特徴があればいいのだが、その逆はあっても有利になるようなものは何一つ持ち合わせていない。

そんな取るに足らないポテンシャルで、大した努力もせずにヒトよりも素晴らしい演奏をしようだなんて、なんと虫のいい話だろうか。よって、誰かと競ったところで、わたしが勝てる見込みは皆無なのである。

 

他にも、ブラジリアン柔術の練習を6年以上続けているが、手足が短くて体が硬い上に空間認識能力が乏しいわたしは、この競技にはまったく向いていない。

身体的な特徴は置いておいて、思考的に不向きであることは歴然としている。目の前のことしか考えられないわたしは、一秒先に何が起きようが構わない——という当たって砕けろ精神の持ち主なので、相手が仕掛けた罠にポンポンとハマるのだ。

 

これはもはや能力というか性質の問題なので、どんなに努力を重ねても限界がある。そのため、わたしごときが奮闘したところで勝てるほど甘い競技ではないのだ。

今日だって、始めたばかりの白帯女子に圧倒的な柔術センスを見せつけられたわけで、羨ましいやら残念やら、なんともいたたまれない気持ちになったのである。

 

——なぜこのようなことを突然言い出したのかというと、薄々お気づきの方もいるだろうが、今チラ見しているアニメの影響だ。本日のBGMは「のだめカンタービレ」という、音大生がメインのクラシック音楽コメディーである。

 

それにしても、こういう内容は断じて良くない。

主人公である"のだめ(野田恵)"は、天然で変人だがピアノが上手い。おまけに驚異の耳コピ能力を持っており、一度聞いた曲はほぼ完ぺきに再現できてしまうのだ。とはいえコンクール向きの演奏家ではなく、もっとアナログに"人の心を掴む才能"がある・・とでもいうか。

幼い頃の厳しいレッスンがトラウマとなり、楽譜どおりに弾くことが嫌になったのだめは、音大へ進学するもコンクールに挑戦することはなかった。

そんな彼女が、大学三年で突如コンクールに出場した。ブラームスだのシューベルトだのドビュッシーだの、関係ないが個人的には苦手な作曲家ばかりが並んでいる。

そして、耳コピではなくしっかりと楽譜と向き合った主人公は、聴衆を魅了する圧巻の演奏を披露したのだ。コンクールの予選でスタンディングオベーションなど、まさに漫画の世界の出来事である。

 

(だけど現実世界にも、のだめレベルの才能豊かなピアニストはたくさんいる・・)

そう呟いてしまったわたしは、この時点で他人と何かを比べていることになる。どうせわたしなんか・・そんな腐った考えが微塵でも湧き上がると、もう音楽など楽しくもなんともないわけで。

 

趣味というのは自分のためにやっているはずなのに、いつの間にか他人との比較が優先された結果、負けることが嫌で努力を積むようになる。勝ち負けにこだわるのなら、ジャンケンでもやっていればいいものを、趣味で嗜んでいる行為を勝負の道具として使うなど、やってはいけないことなのだ。

いや、正確には「やらないほうがいい」のである。勝負というのは、最終的に勝者は一人しか存在しない。残りの全員は敗者なのだから——。

 

それに比べて、"食べること"と"カピバラを愛でること"というのは、自分自身が満足する行為であり、他人と比べる余地などない。推しや宗教も似たような側面があり、己の内面と向き合う究極の趣味である。

——あぁ、やはり食べ物とカピバラは世界平和の象徴なのだ。

 

 

そう思いながらも、寝る前にもう一度ピアノのフタを開けようとするわたしがいる。そうまでして敗者になりたい理由とは、いったいなんなんだろう。

 

llustrated by おおとりのぞみ

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