不密着柔術

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非常に失礼であり、デリカシーに欠ける発言であることは重々承知の上である。だがオンナとして、ここはハッキリさせておかなければ気が済まない。

 

わたしからプンプンと発せられるこの悪臭は、断じてわたしのニオイではない。先ほどスパーリングをした相手の汗のニオイである。

「そんなの嘘だ!自分がクサいからって、他人のせいにしているだけだ!」

いいや、違う!日頃から妄想と虚言しか垂れ流していないわたしだが、今日だけは断じて違う!その証拠に、ニオイの発生源から距離をとるべく、決死の覚悟で5分間を戦い抜いたのだから!

 

 

(ま、まずい・・・)

開始1秒でわたしは異変に気付いた。なんだこのニオイは——。正確には「なんだ」ではない、腐卵臭だ。もしくは腐敗臭か。体臭とは異なる悪臭で、汗に含まれる細菌が発酵した臭いである。こいつは想像以上に強力で、衣服に染み込んでしまったらちょっとやそっとじゃ取り除けない。ましてやこちらの道衣も汗だくゆえに、さらなる恐怖の化学現象が起こりつつある。

・・あぁ、あと4分50秒もある。どうしよう、ちょっと怪我したフリでスパーリングを中断しようかな。いや、そんな白々しいことはできない。であればなるべく密着しないように、距離を取り続けよう。

 

こうしてわたしは、前代未聞の「不密着柔術」に挑んだ。

「そんなの簡単だ!スパイダーガードで距離を取り続ければいいんだから!」

ア、アホかっ!わたしがガードポジションをとる、すなわち、相手の下になれば、上から汗がボタボタ滴り落ちてくるだろうが!そんなことをすれば、せっかく密着から逃れたとしても、結果として悪臭の源を道衣が吸収することになるじゃないか!

とどのつまりは、相手の汗を回避しつつ、最小限の接触範囲で制圧し続けなければならない、ということだ。

 

さっさとトップを取ると、わたしはすかさずニーオンベリー(相手の腹部に自らの膝を突き立てる技)で距離を確保した。これならば犠牲は右膝のみで済む。しかも膝と鼻は離れているため、この5分間を凌げば悪臭ともおさらばである。もはやこの作戦しかない、全力でニーオンベリーを継続するぞ——。

と、その瞬間。下敷きになっていた敵が、渾身の力を込めてエビをしたのだ。バランスを崩すわたし。すかさずわたしの右足に抱き着く相手。全力で頭を押して逃げようとするわたし。

(ぬおっ!!)

頭を押そうとした手が滑り、相手の首筋に触れると同時に、ぐっしょり濡れた襟を掴んでしまったのだ。これは、片手で絞っても大量の汁が出るであろう、とんでもない水分量だ——。

 

涙目になりながらも、わたしは逃げた。敵に背を向けて全力でもがいた。・・たのむ、たのむからくっつかないでくれぇぇぇぇ!!!!

 

 

こうして5分が過ぎた。その結果、わたしの体からは相手と同じ悪臭が漂っていた。

自分でも信じられないほど、耐え難いニオイである。すぐさま手と顔を洗ってみたが、そんなものでは現実は変えられない。どこだ?いったいどこにニオイが染みついているのだ?あらゆる部位をクンクンしてみるが、もはや全身くまなく悪臭を発している。

——まずい、まずいぞ。このままでは次にスパーリングする相手に、わたしがめちゃくちゃ臭いと思われるではないか!

かといって「クサいのはわたしのニオイじゃない!」などと言うのも、なんというかいやらしい。「じゃあ誰のニオイ?」などと聞かれても答えに困る。だからといって、何もいわずにしれっと密着するというのも、オンナとしてあるまじき行為といえる。相手は内心、「こいつ、くっせー!」と思うわけで、それを口にしてくれればまだしも、わたしに向かってそんなことを言える人間はいない。となれば、陰で「あいつ、マジでクサかったんだけど!」となって、その噂が広まればわたしの婚期も遠ざかるいっぽう。ま、まずい——。

 

 

柔術に限らず密着が発生する競技というのは、技術の習得や怪我の防止以外にも、気を付けたり学んだりしなければならないことがあると、改めて思い知らされたのである。

 

Illustrated by 希鳳

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