食の好みは人それぞれ違うだろう。
しかし、私の好きな食べ物(食べ方)は、誰からも受け入れられない。
受け入れられないどころか、非難しかされない。
私しか知らない食べ方、美味しさがあると思えばそれでいいのだが。
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「パンケーキ」は女子なら誰もが愛する鉄板スイーツだ。
当然ながら私も好きだ。
このパンケーキにまつわる一風変わった食べ方が、物議を醸すことになった。
カフェでパンケーキを注文すると、大きく分けて2つの素材が現れる。
一つは、パンケーキ。
もう一つは、ホイップクリーム。
小学校のころからすでに、パンケーキ(ホットケーキ)とホイップクリームが大好きな私は、自宅でホットケーキミックスが開封されると、台所を離れなかった。
「ホットプレートのスイッチ入れて」
母親に言われ、素直にスイッチをオンにする。
すぐさま母親が混ぜているホットケーキミックスのボールを確認しに戻る。
そして母親が目を離した隙にボールに入ったホットケーキミックスを舐める、というのが習慣であり楽しみであった。
しかもスプーンで一気に流し込むのではなく、箸でちょっとずつバレない程度に舐める、というスリルも楽しかった。
最初は母親も気づいておらず、ホットケーキに沿えるフルーツを切ったり、ホイップクリームを泡立てたりしていた。
警戒心など微塵も持たずに。
しかしそのうち、ホットケーキミックスの量が半分ほど減ったことに気づかれた。
「あれ?なんか少なくない?」
ホットケーキミックスは明らかに減っている。
それに対して、小学生の私はなんとも返事ができなかった。
しかし、この美味さは病みつきになる。
断言する、ホットケーキは焼くより生のほうが美味い。
首をかしげながら別の用事を済ませる母親を尻目に、さっさと箸で舐め続けた。
あまりに集中して舐めたせいで、とうとうホットケーキミックスが終わってしまった。
仕上げにボールの内側を指でなぞり、隅々まできれいに舐め尽くしてやった。
アルミでできた銀色のボールはピカピカに輝いていた。
「ちょっと!!ホットケーキ焼く分がないじゃない!!」
母親は烈火のごとく怒った。
私はすばやく逃げた。
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この一件以来、母親はホットケーキを作る際、事前に私に知らせないようになった。
しかし鼻の効く私は、ホットケーキミックスの匂いがするとすかさず台所で待機した。
母親も目を光らせているが、食べ物への執着は恐ろしいもの。
彼女が冷蔵庫へ物を取りに行った一瞬の隙を突いて、箸をホットケーキミックスへ突っ込み、ホットケーキの真の美味さを堪能した。
だからいつも、ホットケーキを焼くときは予定の半分も作れないで終わる。
小さい丸が2つできれば御の字だ。
残りはぜんぶ、レアな状態で私の胃袋に納まっている。
この話をして共感を得ることはない。
それはそれで問題ない。
私なりの食の楽しみ方だから。
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もう一つ、ホイップクリームという大好物がある。
私はホイップクリームをダイレクトに食べる。
おすすめは、肉のハナマサで売っている業務用ホイップクリーム2リットル。
あれを口の中に絞り込んで食べる瞬間こそ至福の時だ。
この食べ方について、理解を得ることが難しい。
ホイップクリームはそうやって食べるものではないと、回りから厳しく責められる。
では、ホイップクリームはおまけなのか?
たしかにパンケーキのサイドにちょこんと飾られていることが多いのは事実だ。
しかし最近では、パンケーキの倍くらいうず高く積み上げられているホイップクリームもある。
あれなどもはやパンケーキを注文しているのではなく、ホイップクリームにパンケーキを添えている感覚だろう。
私は断じて、ホイップクリームをわき役だとは思わない。
むしろ、私なりのパンケーキの良さは熱を加える前にある。
言い方は悪いが、焼きあがったパンケーキはみずみずしさを失ったスポンジのようなもの。
「ホイップクリーム増し増し」で注文する私からしたら、ホイップクリームが横綱で、焼かれたパンケーキは前頭レベルだ。
冒頭でも触れたが、食の好みは人それぞれゆえ、他人から批判される筋合いはない。
己の好きなようにパンケーキとホイップクリームを堪能すればいい。
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前職で変わった記者の先輩がいた。
彼はカップラーメンを30分くらい放置してから食べる癖がある。
お湯を注いで30分、のびのびにのびたカップラーメンを美味そうに、いや不味そうに食べるのだ。
温かい状態で食べるべきもの、たとえばカレーライスやスパゲッティなども、テイクアウトして1時間ほど寝かせてから食べる。
本人曰く、
「熟成させているんだよ」
と偉そうに言うが、それは熟成させるべき食べ物ではないだろう。
それでも、食のこだわりについて他人が首を突っ込むものではない。
彼なりの熟成とやらを楽しむことも、食の楽しみ方の一つ。
これは絶対に不味いだろう、と冷ややかな目を向けながら、共同通信からの受電メッセージを聞いていた頃が懐かしい。
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結局、味の良し悪しではなく、自分の食べたいように食べることで、味覚を超える食の楽しみ方に出会える。
そう思うしかないのかな、と思う。
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