減量を終えた人がよく言うセリフ、
「いろんな味がする!」
というのは、油や塩分控えめの薄味な減量食を食べ続けた結果、久しぶりに食べる「普通の食事」により、寝ていた舌が目を覚ますからだ。
料理上手やアレンジ上手な人は、減量食といえど様々な工夫をこらし、味的にも飽きさせない料理を作るだろう。
だが誰もがそうともいかないわけで、どうしても淡泊で無機質な食事になりがちなのが、減量中の食事といえる。
ただし、それが悪いことだとは思わない。
普段どれほどジャンクで化学調味料にまみれていようが、そのことに気づかずに暮らしている人と、一時期の減量により舌がリセットされた結果、不健康でも何でも「味」を感じることができた人とでは、やはり後者のほうがなんとなく幸せというか、勝ち組に思える。
*
先日、夏木マリ似の気の強い美人から、手作りのふりかけをもらった。
夏木(仮名)はどこぞの魔女のごとく、数え切れないほどの調味料やスパイスを棚に並べている。しかもすべて手作り。
「これ、食べてみなさいよ」
何かの実のようだが、見たことも嗅いだこともない匂いがする。
しかしここで断れば、わたしがスパイスにされる可能性があるので、恐る恐る赤茶色の実をかじる。
(・・・ん?)
小さな実を何度も咀嚼(そしゃく)する。最初のうちは、実の匂いと同じような味がしていたが、何十回と噛むうちに別の味が出てきた。
「これはねぇ、××の働きを助けるから、食べといて損はないわよ」
どこだか忘れたが、どこかの内臓機能を補助する効果があるのだそう。つまり、食材というより薬草とかそちら方面で使われる実の様子。
夏木の作る料理には、化学調味料は一切使われていない。
彼女は「万能」と言われる化学調味料を凌駕する、調味料やスパイスを自らの手で作り備えてあるため、化学調味料を使う必要などないのだ。
そんな彼女の料理を食べて感じることは、
「この料理に何が入っているのかわかる」
ということ。これは初めて口にした時に感じたことだが、その後も何度食べても同じことを思うわけで、不思議だ。
しょっぱい、辛い、甘い、苦いーー。
そういった相対的な味の感想ではなく、
魚の味がする、根菜の味がする、なんだかわからないけど自然の何かの味がするーー。
なんというか、「絶対的な味の感想」が溢れてくるのが特徴。
噛めば噛むほど、味わえば味わうほど、そこから何十種類もの食べ物のエキスがにじみ出てくる。
それが「なんの味」なのかはわからないが、少なくとも人工的に作られた味ではないことがわかる。
一般的に売られている化学調味料で、きれいに整えられた味付けからは、食材一つ一つのエキスは伝わってこない。
だが夏木の料理からはそれが漏れ伝わってくるのだ。
(・・さすが魔女)
その魔女から手土産でもらったふりかけの瓶を眺めながら、白米が必要だと気づく。よし、ウーバーイーツだ。
早速、大盛りライスを注文したわたしは、謎のふりかけをワサワサと振りかける。
くしゃみでもすれば吹っ飛んでしまいそうな微細な粉。目視で確認できるのは小エビくらいだ。
ふりかけの中身について、魔女から説明は受けたが耳から耳へと筒抜けてしまったため、この中身が何でできているのか知る由もない。
ただ、江戸時代頃に薬草をすりつぶす道具として用いられていた「薬研(やげん)」を、愛おしそうにナデナデしていた夏木の姿が思い出される。
きっと、いや間違いなくあれを使って色んな薬草や食材をすりつぶし、このふりかけを作ったのだろう。
あ、一つだけ思い出した。サルノコシカケだ!
このふりかけの構成要素の一つは、キノコ類であるサルノコシカケ。それだけは思い出せた。
そう思いながら白米にかかったふりかけを噛みしめると、味わったことのない「サルノコシカケ」の味がじんわり染み出てくる。
ーー人間、そんなもんだ。
*
目に見えない何十種類ものスパイスやエキスを、牛が草を噛みしめるかのように味わう。そしていちいち、
「あ、何かの味がする」
と感動することは、単なる食事という行為だけでなく「砂金採り」のような得をした気分になれる。
「うまい」「まずい」といった単純な感想以上に、宝探しの延長で味をさぐる楽しさを体験できるとは、なんと贅沢な時間か。
人間の体は水や食べ物でできている。
食べ物や食事への関心は高まってきたが、その料理の元となる調味料やスパイスにまで触覚を伸ばしてみると、そこには魔女の世界が広がるのかもしれない。
サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)
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