海老蔵先生の憂鬱

 

出国直前、柔術の師匠である海老蔵先生から一通のメッセージが届いた。

「勝てるだけ練習しているので、自信持って戦ってきてください」

こんなメッセージをくれるなんて、一体どうしたんだろう・・いや、むしろ何かあったのではないかと不安になる内容に、わたしはギョッとした。

なぜなら先生は、試合に対するスタンスとして「勝ち負けにこだわるタイプ」ではないからだ。

 

柔術というのは、試合に出るからには勝たなければならない競技だが、だからといって「負けたら終わり」というわけでもない。むしろ、個人的には負けた時のほうが得るものが大きく、自分自身の成長という観点では負けるほうが価値があると思っている。

その証拠に、過去の試合を思い出してみれば、浮かんでくるのはいつも自分が負けた時や失敗した時のことばかり。勝った試合は、結果こそ記憶にあれど試合内容などまるで覚えていない。だが負けた試合——殊に、何もせずに負けたときのことは、何年経っても鮮明に覚えているというか、忘れられないものなのだ。

 

とはいえ、わざわざ海外の試合にエントリーしたのだから、願わくば最後まで戦って表彰台のてっぺんに立ちたいというのが、参加選手全員の目指すべきゴールである。

かくいうわたしも、あまりメダルや順位にこだわりはないものの、周りが喜ぶ姿に貢献するべく、できる限りいい色のメダルを持って帰れたらいいなと思っていた。

 

しかしながら、これまで頑なに「勝っても負けても、どっちでもいいです」などと、嫌味なほどにドライな反応しか示さなかった海老蔵先生が、まさかの「勝てる」という言葉を使ったことには驚かされた。

逆にいうと、わたしが勝ち負けになるレベルにあると、認めてくれたということなのか——。

 

 

遅刻常習犯のわたしが、クラス開始30分前にジムへ行くと、柔術ならではの基礎ムーブであるエビやスイッチ、前回り受け身、タックルを切ってすぐに構える・・など、テクニック以前の身体操作について海老蔵先生から特訓を受けるようになったのは、昨年末のこと。

そこで初めて、今までは「見よう見まねで」それっぽくやっていた動きに、じつは深い意味がある・・ということを知り、わたしは衝撃を受けた。なんとなく似たような動きでも、目的をはき違えればまるで意味のないムーブになるということを、まさかの黒帯になって初めて知ったのだ。

 

なぜそんな「地味で初歩的な特訓」の提案を快諾したのかというと、その当時、わたしはとある黒帯女子の練習パートナーを請け負っていた。しかも、彼女が世界を目指すための受け手として指名されたにもかかわらず、その受け手が圧倒的に実力不足という現実に、それはもう地獄の苦しみを味わう日々だった。

練習がキツイとか体力的に疲れるとか、そういうことではない。あまりに「柔術」ができないわたしでは、彼女の練習相手にならなかった——そう、世界での活躍を夢見る彼女の足を、わたしが引っ張る形になっていたのだ。

 

練習後、更衣室で謝罪を繰り返すわたしは、「どうにかして、少しでも彼女の役に立ちたい」と心の底から思っていた。

そんな時、海老蔵先生から

「(前からずっと言い続けているが)基礎がまるでできていない。そこを改善しない限り、試合で勝てないし柔術は変わらない」

という厳しい指摘を受けたのだ。

確かに、今までも同様の指摘をされてきたが、今日の今日までその真意を理解することができなかった。ところが、今になってそれがどういう意味なのかを、体をもって知ることが——いや、心をもって知ることになったのだ。

 

そんなこともあり、藁にもすがる思いで基礎ムーブの改善を決めた・・というのが、特訓を始めるにあたっての経緯である。

にしても、やはり一対一の指導は質が高い。これが通常のクラスであれば、指導者は参加者全員に平等な対応を心がけなければならないが、今はわたし一人のために目を動かし脳を使い言葉を投げかけてくれるため、その一語一句すべてに意味がある。

だからこそ、わたしに何が足りないのかが痛いほど理解できる——あぁ、先生はこういうことが言いたかったのか。

 

そもそもどんくさいわたしは、柔術の動きについて助言を受けてもすぐに順応することができない。それでも、先生が伝えたいと思っていることを汲み取り、舳先がそちらを向くように努力した。

極論をいうと、先生が指示する動作が正しいかどうかはどうでもいい。先生が指さす方向をただひたすら愚直に辿れるか・・という、覚悟の見せ所なのだ。

 

その後、久しぶりにエントリーした試合で階級別と無差別両方で優勝することができ、さらに今回、ラスベガスで開催されたワールドマスター柔術選手権において、階級別で優勝することができた。

 

黒帯というのは、言うまでもなく猛者揃いのカテゴリーである。20年前から黒帯の化け物もいれば、わたしのように最近黒帯になった雑魚もいる。

だからこそ、黒帯になってからの一年間、わたしが試合に勝つことはなかった。もっというと、惜しい試合など一つもなかった。どう転んでもわたしが勝つ可能性ゼロの試合ばかりで、それこそが正しい実力なのだと思い知らされる毎日だった。

 

だが今回、不思議とわたしに不安や恐怖はなかった。勝ち負けの意識は相変わらず低いが、最低限「身を守ること」くらいはできるだろう・・と思っていたからだ。

そう思えるようになったのは、紛れもなくあの「基礎ムーブ特訓」のおかげである。同じ動作でも、いかにコンパクトに縮こまることができるか、いかに遠くへのけ反ることができるか、いかに最大限の効果を発揮できるか・・によって、相手に与える影響や自身の最善手が変わってくる。

それを身をもって実感したからこそ、わたしの中で燻っていたネガティブな要素が消失したのだ。

 

 

優勝しておいてこんなことを吐けば・・まぁ、嫌味にとられるだろう。だがそれでも言わせてもらうと、わたしは決して柔術が上手いわけでも強いわけでもない。それは自分自身が一番よく分かっていることだ。

では、なぜわたしが勝ったのか?——実力と、あとの半分は「ラッキー」である。

 

なぜなら、勝負事において「偶然勝つ」ということは往々にして起こり得る。だが、負けることに偶然はない。

そしてわたしは、普段の練習で散々やられている。どうやっても勝てない相手——しかも、わたしより小柄で非力で可愛らしい顔をしているにもかかわらず——を前に、毎回毎回いいようにやられているわたしが、柔術が上手い?強い??・・ちゃんちゃらおかしい話である。

それでも少しずつ、まずは身を守ることができれば少なくともやられることはない。そこから、あわよくば反撃の機会をうかがって・・という、淡い夢を抱きながら、細々と練習を続ける日々なのだ。

 

とにかく、わたしに黒帯を与えてくれた海老蔵先生に恥をかかせることなく、無事に世界一の金メダルを手渡せる日がきて、弟子としてはホッとしている。

これからも、イマドキの派手なムーブに飛びつくのではなく、地味で根本的な身体操作を徹底しつつ、またいつか先生の首に金メダルを掛けてあげるのが、弟子としての責務だと心得ている。

いかんせん「金メダル以外は、要らないので」と断言されているので、ここはかなりハードルの高い要求ではあるが——。