暗闇で私を支えてくれたのは

 

毎年この時期になると、ラスベガスへやって来ては深夜に空を見上げてUFOを待つ・・というのが日課の面倒な輩(わたし)を、嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれる稀有な友人宅にて、今日もわたしは「想い人」が現れるのを待っていた。

 

深夜をとおり越して午前3時半ともなると、ヒトは寝静まり起きているのは動物のみ——そう、いま活動しているのはこの家に住む3匹の猫とわたしだけ。

外を走る車の音も静まり、見上げる夜空には、まるで打ち水をひと振りしたかのような鱗(うろこ)雲が広がっている。そんな美しい光景をボーっと眺めていると、時々雲の合間から下弦の月が顔を出したり引っ込めたりするのだが、こちとら風光明媚な景色ではなく、あっと驚く人工物の出現に期待を寄せているわけで、いい加減わたしを驚かせるようなアクシデントがあってもいい頃ではないか・・と、自分本位なセルフ突っ込みをするほど暇を持て余していた。

 

このような愚かで低俗なニンゲンを、哀れむわけでも見下すわけでもなく、ただただじっと傍で見守る三匹の猫たち。

 

それにしても、猫は動物の中でも奇妙な身体的特徴があったり、神話や昔話にも登場するなど謎めいた存在であったり、はたまた”宇宙からの使者扱い”されたりするなど、われわれ人間との絆が深いゆえに親近感と特殊性を兼ね備えた、不思議な生き物である。

しかも、犬のように飼い主に忠誠を誓うわけでもなければ、「お手」や「おかわり」を教えたところでそれに従うとは限らない。いつだって、己の気が向いた時だけヒトの近くへ寄って来ては、相手が断れないと分かった上での「おねだり」をする——あの表情は、もはや意図的としか思えないほど人間のハートを鷲掴みする威力があり、それを本能的に使い分けているのだとしたら、もはやヒトを支配できるだけの能力があるといっても過言ではない。

 

とはいえ、こうしてわたしが一人で空を見上げていれば、なんとなく近くへやってきては一緒に過ごしてくれるのだから、なんというか可愛い奴らではないか。

なにかを催促するわけでもなく、ただただ寝転がったり毛づくろいをしたり、そんな穏やかな時間が静かに流れていった。

 

(今日はもう、現れないだろうな・・UFO)

小一時間ほど天を見上げていたわたしは、夜から朝へと向かいつつあるラスベガスの空に別れを告げると、しばし就寝するべく室内へ戻ることにした。

 

それにしても、今日わたしが孤独を感じずにUFOのために待機できたのは、3匹の猫・・いや、我が相棒らのおかげである。

低俗で単細胞なニンゲンを一人にするのは心許ないと、崇高なお猫さまたちが足元で共に時間を過ごしてくれたからこそ、暗闇の中であっても(現れることのない待ち人を)ジッと待つことができたのだ。

 

そんな感謝の気持ちを込めて、左右で寝そべっている猫の背中を撫でようと、おもむろに手を伸ばすわたし——すると、指先からコツンと音がした。

(・・・え?)

なんと、柔らかな猫の背中に触れたつもりの左手は硬いブロックを、そして右手は水撒き用のじょうろの触れた——ということは、さっきからずっとわたしの傍で見守っていてくれたのは、猫ではなくブロックとじょうろだった・・ということか!?

 

たしかに、目が悪いわたしは強度近視の分厚いメガネで夜空を見上げていた。そして、真っ暗な足元に何かが居る、または「ある」くらいは分かっていたが、それが猫だかじょうろだかは正直分からないし、むしろどうでもよかった。

その結果、わたしは美しい猫たちと一緒にロマンティックに空を見ていたはずが、ブロックとじょうろを両脇に従えて小一時間を過ごしただけの、まったく美しくないシチュエーションに身を置いていたのだ。

 

 

まぁ、人生こんなもんというか、目が悪いとこんなもんである。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です