ここ数日間、これまでの人生を覆すような訓練・・というかリハビリを行っているわたし。今まで見て見ぬふりをしてきたが、やはり「気づいているならば改善すべき」ということで、結果が変わるかどうかは分からないが、やるだけやってみることにしたのである。
いったいなんの訓練かというと、「左手の親指を独立して曲げる訓練」だ。
言っている意味が分からない者も多いだろうが、わたしはどうやら生まれつき、左手の親指と人差し指が連動してしまう特徴がある。
とはいえ、そのことに気づいたのはここ数年のことで、学生時代はまったく記憶にないため、もしかすると大人になってからの怪我が原因かもしれない。だがとにかく、左手の親指を曲げようとすると、その隣にある人差し指まで釣られて曲がってしまうのだ。
これはどうやら浅指屈筋腱や長母指屈筋腱の構造上、隣り合う指と腱が繋がっていたり、他の腱と癒合していたりする可能性がある模様。そのため、親指を握り込むように曲げると、繋がっている腱を通じて人差し指にも伝わってしまうのだ。
簡単な仕草でいうと、左手でピースをすると人差し指が少し曲がってしまう——という感じ。ただし、人差し指が曲がっていれば不具合は生じないため、日常生活で困ることはほとんどない。具体的には、左手で「2」や「3」を示さない限り、この2本の指が連動したところで問題はないからだ。
とはいえ、ピアノを弾いていてなぜこの現象に気付かなかったのか・・というと、半分気づいていたし半分どうでもいいと思っていたのが本音。
鍵盤を押すとき、親指は軽く屈曲した状態となる。そして人差し指もアーチ状になっているため、”もうすでに曲がっている指同士”ということで、さほど影響を及ぼさない。だが、若干なりとも引っ張られる感覚はあったので、決していい状態といえないことは承知していた。
それでも「どうしようもない」と諦めていたので、そのまま放置してきたわけだ。
そんな”歪な屈筋腱”と正面から向き合うことを決めたのは、5日前のことだった。なぜか突然、「右手ならばできるのに左手だとできない・・なんてこと、あるはずがない!」と思い立ったわたしは、ChatGPTに「親指と人差し指の連動を切り離すためのトレーニング」を提案させたのだ。
(訓練した結果、指が独立しなければその事実を受け入れるだけ。もしも、少しでも改善したならば超ラッキーじゃないか!)
こうして、地味なトレーニングという名のリハビリを開始したわけだが、方法は簡単。左手のひらを上に向けてテーブルに置き、人差し指が曲がらないように逆の手で押さえながら、親指を曲げ伸ばしする・・というだけのこと。
ところがどうだ、親指のIP関節(指先側の関節)を曲げようとすると、ちょっと角度ができた時点でそれ以上動かすことができないではないか。
もちろん、人差し指と一緒であれば——いわゆる、ジャンケンの「グー」や「OKサイン」の状態であれば、最後まで握り込むことができる。しかしながら、親指のみを屈曲させようとすると、まるで力が入らないのだ。
(神経が繋がってないみたいだ・・)
耳の奥というか目の奥というか、脳の内部がむず痒くなるような不快な感覚に襲われる。過去にもあったな、この感じ——本来あるべき神経が繋がっていないとき、こういう不穏かつ不快な何かを感じるのだ。
それは「痛い」とか「苦しい」という類のものではなく、本当に「無」なのだ。力が伝わらないという無の状態を感じるだけで、どうやってもその先へたどり着くことはない。
だがわたしは知っている——この神経さえ繋がれば、必ず親指を動かせるようになる、と。
こうして地道なトレーニングを続けた結果、翌日には屈曲の角度がやや深くなり、その翌日にはさらに握れるようになった。
もちろん、最初から指が独立している人からしたら「全然できてないじゃん」となるだろう。それでも、まったくできなかった者からすれば、「できない」が「できるようになった」のだから、たとえ目に見えない程度の変化だったとしても、それは大きな進歩といえる。
さらに5日が経過した今日、屈曲の角度はさほど変わらないが、脳の感覚的に「神経が繋がりつつある」ということを察知したのである。
(このまま続けていけば、いつか親指を単独で曲げられる日が来るはず・・)
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自分自身を変えるのに、年齢やタイミングは重要ではない。必要なのは「やってみる」という一歩を踏み出すことだ。
そして、試行錯誤の末に変化を手に入れられたらラッキーだし、何も変わらなければそれを受け入れるだけ。さらに、変わるか変わらないかはやってみなければ”絶対に”分からない。「やったところでどうせ変わらない」と、他人が決めた常識や稚拙な屁理屈で身を固める者が、変われるはずもないからだ。
変わろうとする者だけが変われる。少なくとも、その一歩を踏み出した時点ですでに、変わっているのだから。
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