わたし自身が「柔術の黒帯でよかった」と思ったことはないが、ラスベガスに来て初めてそう感じる瞬間があった。それは、13歳の少女(といっても身長の高い大人びた女子で、しかしながら帯の色は黄色であり、正真正銘のキッズだった)とスパーリングをしたところ、彼女の母が非常に喜んでくれたことだ。
「日本から来た黒帯の女性が、娘に柔術を教えてくれた。本当にありがとう!」
SNSへ投稿された画像を見て、実際にわたしは何も教えていないのだが、海外、しかも「日本から来た黒帯」というパワーワードのおかげで、少女だけでなく彼女の母そして父までもが喜んでくれたことに、驚きとともに自分が黒帯であることに感謝を覚えた。
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ラスベガスにて出稽古でお世話になっているジムは、「ギ」が専門ではなくMMAやストライキング、ノーギをメインとしたアグレッシブな道場だった。
そのため、ギのクラスは初心者を除けば週に2日しかなく、柔術の専門道場と比べるとギに触れる機会は少ないかもしれない。だが、黒帯から白帯まで老若男女問わず多くのメンバーが柔術(ギ)を楽しむ姿は、世界共通で気持ちのいいものだった。
そんな中でわたしは、「柔術を始めたばかり」という白帯の女子たちから質問を受けた。内容は、その日に教わった”ニーシールドハーフのパス”について教えてほしい・・というもの。これが日本ならば「間違ったことを教えてはいけないから、先生に聞いた方がいいよ」などと言ってしまいそうだが、現に先生は他の生徒をフォローしているので、ここはわたしが対応するしかない——。
そこで、単に生徒としてクラスを受けていただけの、”完全に部外者”であるわたしが、先輩風を吹かせながらムーブの説明をすることにした。とはいえ、日本で習ってきたテクニックとほぼ同じ内容だったので、とりあえず無難にこなせたのではないかと思うが。
ちなみに、そんな”部外者のくせに先輩風を吹かせる黒帯の日本人”が放つ言葉と動きに対して、目を輝かせながら大きく頷く白帯女子二人は、自分たちがやりたい動きができたことに——正確には、クラスで教わった動きが正しく再現できたことに、ニコニコと嬉しそうな笑顔を見せた。
(出来ないことが出来るようになる・・って、やっぱり嬉しいものだよな)
その時わたしは、「実力は置いておいて、とにかく黒帯でよかった」と心の底から思った。白帯からすれば黒帯は雲の上の存在。当時わたしがそうであったように、そして今でも自分より優れた黒帯を見るたびに思うことだが、黒帯を巻く意義というか威厳は圧倒的かつ絶大なものだからだ。
しかも「日本人の黒帯」というのは、海外勢からすると少し別格の模様。日本ならではの厳しい修行を積んできての黒帯——というイメージが、どうやら日本人にはあるのだそう。
無論、わたしがそのような「日本人の黒帯」に値しないのは言うまでもないが、それでも「日本人」と「黒帯」という部分に関しては紛れもない事実。よって、そんな貴重な存在と一緒に練習ができて嬉しい・・と思ってくれたのだとすれば、今こうして黒帯を巻けていることに、わたしのほうこそ感謝なのである。
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試合を終えて、どのツラ下げて帰国すればいいのか分からない——そんなボロ雑巾のような心境のわたしを、純粋に元気づけてくれたのは黄帯と白帯の女子たちだった。
自分のことばかり考えていると、視野は狭くなりどんどん内向的になるもの。だからこそ白帯やキッズの前では、少なくともわたしは”立派な黒帯”でいなければならない。それは、知識や経験そしてムーブに関しても当然ながら、色帯の人たちが憧れる存在として、嘘でもいいから笑顔で堂々としていなければならないのだ。
——繰り返しになるが、わたしという黒帯の日本人と柔術をしたことを、家族みんなで喜んでくれてありがとう。
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