ヒトはヒトから、悲しみや怒りそして後悔を与えられるもの

Pocket

 

結局のところ、ヒトはヒトに反応し影響し感化されるものなのだ。しかもネガティブな部分に関しては、いつだって対象は「ヒト」と決まっている。その証拠に、ペットや野生動物が原因で、傷ついたり腹を立てたりすることは極めて少ない。

もちろん、愛するペットがこの世を去れば悲しみにくれることになるが、生きている間にそういった悲しみを与えられることはない。むしろ、毎日を彩り幸せな時間を過ごすことができるのは、ペットのおかげなわけで。

 

ここ最近、やる気が起きず怠惰な生活を送るわたしは、その原因が「ヒト」であることを十分に認識している。考えないようにしよう・・と思えばそうすることも可能だが、ふとした瞬間に蘇る無意識の記憶が、一気に現実へと引き戻すから厄介なのだ。だからこそ、現存するニンゲンを記憶から抹消することは、至難の業であるということを思い知らされるのであった。

ちなみに、メンタルを病んだ場合の原因は十中八九「ヒト」が関与している。会社や学校での人間関係しかり、恋愛や友情のもつれしかり、ヒトの心を蝕むのはいつだってヒトなのだ。

たしかに、社会生活を送るにはヒトと接してヒトと共に生きなければならないため、誰かから受けるストレスはモロに自分へ跳ね返ってくる。これがもしも動物——たとえばクマと共存しなければならない世界線だったとしたら、ニンゲンのみならずクマから受けるストレスも多分に影響するだろうが、右を見ても左を見てもヒトしかいないこの社会においては、やはりヒトが最大の因子となる。

 

なお、社内における人間関係の悪化であれば部署移動や転職などで回避できるが、「なぜ被害者の私が?!」という当然かつ複雑な気持ちもあるため、ベストな解決策とはいえない。また、一度精神を病んでしまうと原因となる人物との距離を遠ざけたとしても、それだけですぐに寛解へとつながるわけではないのも厄介。心の傷というのはそう簡単に塞がるものではないからだ。

そして、関係性がより親密な場合——たとえば夫婦や恋人、友達の場合、既存の関係性を断つにはかなりの労力を要することとなる。さらに、距離をとることの原因やそこまでの過程によっては、互いに望んでいないとしてもそうせざるを得ない可能性もあり、一筋縄ではいかない難しさと切なさがある。

 

このように、二度と会わないであろう赤の他人ではなく、身近な環境でのコンフリクトというのは、ヒトの心を疲弊させるものなのだ。とはいえ、二度と会わないであろう赤の他人であっても、たとえば人混みでぶつかったとか列に割り込まれたとか、瞬間的に腹が立つことは往々にしてある。これが仮に「犬」だったとしたら、ぶつかられても割り込まれても、決して激怒することなどないわけで——。

かくいうわたしも、今となっては「言わなければよかったな」と思うような言動をしたため、その事実を取り消すことができないやるせなさと虚無感に苛まれるのであった。きっと、この世で生き続ける限り背負うであろう十字架なのだろう。

 

 

「あることが原因で、最近なにもかもがつまらないんだ」

わたしの日頃からの言動や振る舞いを見て、まさかそんな状況に陥っているとは誰も思わない——そんな意外なカミングアウトを聞いたとある友人は、驚きながらもこう答えた。

「そうなんですか。そういう時はYouTubeでお笑いのチャンネルとか見たらいいですよ」

無論、会話を成立させるための冗談交じりの返答ではあるが、その時ふと思ったことがある。それは、「もしもこのくらいシンプルに考えられたら、気持ちはもっと楽になるのではなかろうか」ということだった。

 

ヒトはヒトに影響されるため、当事者間での解決が最も有効かつ迅速な手段であるのは間違いない。だが、社会的な立場や相手との関係性といった、ヒトが置かれた複雑な環境のせいでそう簡単にはいかないのも事実。

それでも、一つのことに固執して深い溝へと落ちていくくらいなら、お笑いチャンネルでも見て気を紛らわせるのもアリかもしれない。どうせ何をしても気持ちは変わらないのだから、だったらポジティブな道を選ぶべきだからだ。

 

落ち込んで悲劇のヒロインぶるのも悪くないが、ある程度演じきったならば現実に戻るべし。ヒトという不確実で不安定なものに執着するのは、あまりに不幸で不憫なことだから——。

 

Illustrated by 希鳳

Pocket