なんの根拠もないが、「なるほど」と得心が行くことはあるだろう。そこに科学的根拠がなくても、むしろその言葉のほうが正しいと思えるような、そんなセリフをここ最近で2度ほど耳にした。
「大丈夫、URABEは健康だよ」
簡単にいうとこのような感じだ。それぞれの発言について思い出してみよう。
*
看護師の友人がいる。病棟勤務だが、主に糖尿病患者を担当している。そんな友人に対して、食生活の乱れが著しい私は「いずれ糖尿病になるのではないか」という相談をした。
友人はうーん、と少し考えた後、私の目を見ながらハッキリとこう言った。
「URABEは糖尿病にはならないと思う」
そばで聞いていた別の友人が、驚いたように割り込んできた。
「うそでしょ!あれだけアイス食べたりパンケーキ食べたり、甘いものばっか食べてるんだよ?糖尿病になるに決まってるよ」
私もそう思う。私のような暴飲暴食(主にコーヒーと、ケーキやクッキーのような甘いお菓子)を繰り返す者が、健康でいられるはずがない。いやむしろ、間違いなく糖尿病になると言ってくれ。一思いに斬られたほうが気が楽である。
それでも看護師の友人は首を横に振り、こう続けた。
「糖尿病は遺伝もあるけど、でもほとんどの人は見ればわかるんだよ。だから、URABEは糖尿病にはならない」
・・・これほどまでに医学的根拠に欠ける発言があるだろうか。友人は私の食生活について、およそ知ってはいるが、まさかここまで乱れているとは知らないはず。だからこんなゆるい発言ができるのだ。
たしかに血液検査をしても血糖値は高くない。それどころか低い部類に入る。だがそれも今のうちだけ。何年かしたらグングン数値が上がり、人工透析を余儀なくされるに決まっているのだ。
「患者さんと毎日接しているからわかるんだ。あぁこの人は糖尿病になるだろうなって」
そう言いながらその場を去った友人。そんな後ろ姿を見送りながら、私は言葉にならない確信を得た。
(私は糖尿病にはならないのだろう)
それは油断とか慢心とかではなく、友人が言う「見ればわかる」という言葉の重さについて、疑う余地がないということだ。
「見ただけで分かるなんて、超能力者気取りもいい加減にしろ!」
そう言いたくなる気持ちも分かるが、人間が大好きな「根拠」とか「エビデンス」というものは、所詮過去の統計である。そんなものより、日頃から肌で感じる「なにか」のほうが、よっぽど信憑性がある場合もある。
そんな「なにか」を、友人の言葉の奥に感じたのだ。
*
手足の浮腫みがひどい。右足などクリームパンのようにパンパンに膨らんでいる。手の指も過度に浮腫んでいるため、曲げることができない。よって、いまジャンケンをしたらパーしか出せず、相手がチョキを選択した瞬間に勝負が決まる。
さらに疲れもとれない。どれだけ寝ても寝足りないくらい、体がだるくて眠い。これは間違いなく、腎臓か肝臓か、はたまた甲状腺の病気に違いない。
履いていたクロックスの跡がくっきりとついた右足を撫でながら、近所のクリニックへと向かった。
「とても健康そうに見えるから、病気ではないでしょうね」
女医はどこか笑いを堪えながらそう答えた。いや待て。聴診器を当てるとか、口の中をのぞくとか、血圧や脈拍を測るとか、少なくともそういった簡単な調査でもしたうえで結果を報告してもらいたい。
するとおもむろに、私の足の甲を指で突きながら、
「ほら、押しても跡が残らないでしょ」
と、まるで面白がるかのように次々と押し始めた。そのうちの一カ所、親指の付け根あたりを押されたとき、鋭い痛みが走った。どうやら親指を傷めているらしい。
そもそも右足の親指はピーンと真っすぐに固まっている。過去に骨折した際に放っておいたら、そのまま固まってしまったのだ。そのため、もう二度と床に落ちたペンを足で拾うことができなくなってしまった。
(もしかすると、これは浮腫みというより怪我のせいで腫れているのか?)
モニターに文字を入力しながら女医は言った。
「病気の人って、顔を見れば大体わかるんですよ」
あぁ、なんだこの聞き覚えのあるセリフは。医療従事者から同じセリフを二度も言われるとは、なんとも不思議な気持ちである。
じつはこの怠さも浮腫みも、原因は分かっている。ここ最近の超暴飲暴食が祟ったのだ。砂糖漬けや塩漬けの食べ物を朝から晩まで、いや、朝から朝まで食べ続けた結果、体が悲鳴をあげたのだ。
足の甲の浮腫みについては、浮腫みというより突き指による内出血と腫れだろう。たしかに左右差がある。
そして女医が言う通り、私は健康そのものだ。むしろ私が不健康ならば、この世の誰もが不健康というくらい、私は完全に健康体である。
これは慢心ではない。病は気からというが、人は病気になれば、見るからに病人のオーラを放つのだ。「具合が悪そう」と言われて、元気な輩などいない。そういう見た目の人は、やはりどこかに不調を抱えているはずなのだ。
こうして、いい気分になった私はスキップしながらクリニックを後にした。
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