右手の親指を派手に痛めて一週間が経過した。指の腫れはあるものの、パソコンのキーボードを押したりピアノの鍵盤に触れたりすることが出来るようになったので、かなりの回復傾向にある。
今回の負傷について医療機関への受診はしていないが、体感的には「全治二カ月」を告げられるレベルだと予想した。それ故に「わたしならば、全治二~三週間といったところか」と見当をつけたのだが、まさにその通りに事が運んでおり思わずニヤリとほくそ笑んだ。
わたしは、傷の回復が尋常じゃなく早い。先日も、スパーリングで額を擦りむいたため、練習後に友人に見せつつ文句を言おうと思ったところ、擦り傷がきれいさっぱり消えていたのだ。
数分前まで、血管が怒張し赤く擦りむけた痕跡が確認できたのに、いま鏡を見るとそんな異変はどこにも見当たらない——これだから、傷の治りが早いとチヤホヤ労(いた)わってもらえなくて損なのである。
というわけで、一般的な加療期間の半分または三分の一で回復するわたしは、受傷と同時に脳内コンピューターが演算を始め、全治までのおよその期間がはじき出される・・という特徴がある。その結果、今回の怪我は「二週間半」という見積もりとなった。
そして今、全治まであと半分というところまできたわけだが、我が親指は回復しつつもまだ強い痛みを感じる状態。だが、ここで重要なのは「(その痛みが)峠の手前なのか、峠を越えたものなのか」という判断だ。
怪我をしたら、神経なり筋肉なり骨なりに傷ができるため、普通のニンゲンならば痛いに決まっている。だが、その痛みが受傷による痛みなのか回復途中の痛みなのかを選別できないと、いつまで経っても「痛いから動かさない」という最悪の事態を招いてしまうのだ。
具体的には、痛いから動かさない・・を行った結果、傷の周辺に高密度化したコラーゲン繊維が発生してガチガチの網目ができたり、関節包の柔軟性が失われて硬化したり、関節液(潤滑油)の循環が止まって癒着を引き起こしたりと、もう二度と柔軟性を取り戻せなくなるほどの変化が起きる。
そんな恐ろしい事態を避けるためにも、今自分に起きている痛みが「峠の手前なのか、はたまた超えた痛みなのか」を見極める必要があるのだ。
そして今、わたしの親指に起きている痛みは、峠を越えたか超えようとしている段階のもの。よって、多少の痛みは許容して積極的に動かす必要がある。無論、痛みを押してまで動かす必要はないが、違和感に毛が生えた程度の痛みであれば、それを受け入れつつ指の状態を確認するのが正解。
そういえば、一か月前に手首を骨折し最近ギプスを外した女性がいるのだが、彼女の「肘が曲がったまま動かない」という発言を聞いたわたしは、思わず眉をひそめた。
「肘が曲がったまま動かない」というのは、おそらく三角巾で腕を吊った生活を送っていたのだろう。だが、その状態で一カ月はさすがに長すぎる。しかもその間にリハビリは行われなかったのだろうか? それよりなにより、手首の骨折で一カ月間も腕を吊って安静を保つ必要があったのだろうか?
一度固まってしまった関節は、なかなか元通りには戻らない。だからこそ、固まる前にしっかりと動かして可動域を維持する必要があるのだ。そのためにも、今の痛みが「峠の手前なのか、峠を越えた痛みなのか」を、自分自身で見極めなければならない。
文字にすれば同じ「痛み」としか表現できないが、自分の感覚として受傷の痛みと回復途中の痛みは違うはず。ましてや、怪我慣れしているわたしからすると、その違いは明らかであり判断は容易い。
だからこそ、今日からは「元通り」に向けて少しずつ使ってやることを決めたのだ。
ピアノの鍵盤はさすがにまだ重いが、パソコンのキーボードを親指で触れられるようになったのはデカい。それ故、多少の痛みというか違和感を楽しみつつ、指がフルに使えることへの嬉しさに心が弾むわたしなのであった。











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