カネを稼ぐことについて、わたしには一つの持論がある。
仕事というテイだとしても、楽しみつつ、大した苦労もせずにカネを得るのは「趣味」。
そして、やりたくないけどカネを得るためにどうにかするのが「仕事」、という考えだ。
楽しみつつ遂行した作業でカネをもらえるのは、ある意味超ラッキー。なぜなら「趣味でカネをもらう」から。
逆に、面倒くさくて悩み苦しみながら完遂したものに対して、カネをもらうのは当たり前。なぜなら「仕事の対価として報酬を得る」わけで。
そう思うと、カネを手にする方法は「趣味」と「仕事」の2種類しかない。
カネを得られるのならばどちらでもいいし、どちらかと言えば楽をして(嫌な思いをせずに)儲けられるほうが気分もいいので、「趣味」で稼げるほうがいい。
だが、世の中そんなに甘くはない。
わたしは日々「仕事」をこなしている。それに関して、特段なにか思うわけでもなく、ただ淡々とこなすのみ。
なぜなら、仕事だからだ。
*
今日も朝から苦手な作業に取り組んでいる。要するに、仕事だ。
まぁ、稼ぐ手段として趣味だけでカバーできれば、そんなラッキーなことはない。だがわたしの能力でそれは不可能。
よって、「仕事」を挟まなければ生きていくことができない。
しかしなぜこうも「仕事」ってやつは、頭も体も乗り気にならないんだろう。イヤイヤながらもせめて指だけでも動いてくれれば、それなりに進むはずなのに。
仕事を進めるにあたり、およその見通しを立てる必要がある。
そして不足している情報や条件があれば、補うためにインプットを行わなければならない。
ーーそんなことは分かってる。誰にだって分かることだ。
だがどうにもこうにも頭がソッチを向かない。気分が乗らないというか、何となくよそ見をしたくなる心境というか。
あえて表現するなら、
「大嫌いな牡蠣とあんことグリンピースを、上客の前だからと無理やり笑顔で食べさせられる」
という感じ。
ーーちょっと違うか。
参考図書を読んでいても、なぜか次のページへ進まない。
仕方なく強引に次のページへと読み進めるうちに、必要箇所が終わった。
「では、何を理解しましたか?」
と、自らに尋ねる。
「一言一句、記憶にございません!」
と、胸を張って答える。
そして再び、最初のページへ戻る。
この繰り返しで何時間が経過したことか。
そのうち腹が減ってくる。絶賛減量中なので、冷蔵庫からサツマイモとトウモロコシを取り出し、レンジでチンする。
料理は不得手なわたしだが、サツマイモとトウモロコシの調理にかけては相当な自信がある。
トウモロコシなど、サランラップすら使わず自然のままの調理法で完成させる。
さらにサツマイモと言えばコーヒーだ。ウーバーイーツでコーヒーを注文し、到着と同時に飲食を開始。
胃袋を満たすと再び分厚い本と向かい合う。
今度こそ、言葉の意味を理解しながら読み進めようと覚悟を決める。
しかし「余計なやる気」というやつは、往々にして空回りとなる。
「1994年の旧労働省による、ってことは、現在の厚生労働省っていつできたんだ?」
「法の基本的性格、って聞くと、まるで生き物みたいだな。生き物なのかな?」
「ファクシミリまたは電子メールによる送信でもよい、って、今どきファクシミリなんてガラクタが自宅にある人、いるの?」
本題から外れた疑問や揚げ足取りの末、1ページも進まずに数時間が過ぎる。
ーー少し頭をつかい過ぎたかな。一休みするか。
こうして日が暮れ、夜を迎える。
これだから「仕事」というやつは捗らないのだ。
だが「仕事」を放置するわけにもいかず、もはや泣きっ面にハチの状態で、渋々指だけを動かし始める。とはいえ脳内は不平不満が渦巻いており、集中力など微塵もない。
ーー何でこんな思いをしてまで仕事をしなきゃならないんだ。なにも「やりたいことしかやらない!」とは言わない。せめてわたしの得意分野でカネが稼げれば、それに越したことはないのに。あぁどうしてこうも世の中ってやつは上手くいかないんだ。
そんな文句を延々と垂れながらも、気付くと「仕事」は終わっていた。
ーーそうか!仕事は文句を垂れながら、むしろ不平不満に注力しながら進めればいいんだ。変に「気持ちを入れよう」とか「やる気を奮い起こそう」とか思うから、うまくいかないんだ。
マシーンのように淡々と、与えられた条件をクリアすればいいだけだ。なんてったって「仕事」だからな。
*
仕事は面倒で嫌なもの。
だからこそ、感情移入することなく淡々と進めるのが正解だ。
もし楽しく進めることができたなら、それは仕事ではない。趣味だ。
Illustrated by 希鳳
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